余野城 豊能郡

箕面市最北端にある塩山氏の止々呂美の下城中城から余野川沿いにR423号(余野街道)を更に北上し、豊能郡豊能町余野で亀岡市境界に向かう府道109号(亀岡街道)との分岐:切畑口交差点に着く。余野・切畑口は二つの街道が合流する摂丹街道の要衝。切畑川(寺田川)が余野川に流れ出る地点でもある。
   遊仙寺参道(最後坂)から裏門?は余野城空堀後を経て主郭へ・・!!?
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合流地点からは余野川の東の旧城山高校跡地の平山城に余野城が、西に山城の余野本城(水牢城)が望まれます。既成の概念から私も以前より二つの城名を其のように呼んでいたのですが・・・豊能町誌や数多くの訪城Web記事が日本城郭体系によるものか?、また町誌の遺跡分布地図表記からも疑問を感じ、城名や城史の再調査をして欲しいと思えてきました。
南正面(府道側)から段曲輪を抜け表門(虎口)に向かう・・
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町誌の遺跡地図に余野本城(水牢城)とされる城址の位置が空白で、その南尾根末端峰部に余野城の名がある。城址とは思えないが広い平坦地形が中世以降の屋敷等に使用出来なくもないし、その上:鞍部には大きな片堀切もある。作業用山道だろうか?。余野本城側については次回として割愛しますが、余野城が築城当初の明応年間幣<しで>の木城と呼ばれたが、余野城として改修されたり・呼ばれる時期は不詳ですが、余野十三仏建立の室町時代末期以後の事でしょう?。
   搦手道(残念坂)にも数段の土塁曲輪・土塁道状裏虎口?
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現状:余野城は校舎建設の造成や整備等で遺構残存状況確認は出来ないが、現地案内板では空堀・土塁が四方を囲む単郭の居城。南の大手筋と表門(虎口)や北側斜面や藪地の広い段曲輪地形や、遊仙寺参道の最後坂や北裏手参道?の残念坂の名は、此処で共にキリストの洗礼を受けたクロン殿(余野氏<黒田氏?>が後:高山右近と戦い落城の悲劇を伝えたものか!!?。遊仙寺の東側・谷を挟んで余野大平城や、町誌の遺跡分布地図には表記されていないが余野交差点西方には城ヶ越城が在ったと云う。調べているうちにまた宿題を残してしまったが、城史や城位置を調べ現地での取付き点等を検討しながら改めて再訪したいところです。  

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