幻の氷上城「霧山城」

丹波市にも遺跡分布図に調査公表されていないが、堀切・竪堀・切岸加工された曲輪・数少ない土塁や畝状空堀さえ遺す山城や、丹波黒井城攻め時の明智の陣城と思える織豊系縄張りの城郭も、都度にホームページや此のブログに報告してきました。しかし:年表・古書等の諸々文書に登場するが実体不明の人物もいる。丹波守護:仁木賴章の守護代【延元2年?〜康永2年(1337?-43)【】となっていた荻野朝忠は、南朝方として児島高徳と高山寺城(弘浪山)に籠り北朝軍と戦い、仁木氏は引責から守護職を引いている。丹波史の重要箇所に登場するのに実在した人物か、荻野姓だが荻野・赤井氏一族との関連も不明。
   霧山東尾根:土橋付き堀切
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此処霧山城には初代城主として波多野宗高が登場します。多紀郡(篠山市)八上の波多野氏に対し西(氷上郡・現:丹波市)波多野氏と呼ばれた人物で、天文3年秋(1534)丹波へ来住し天文7年(1538)氷上城を築き西波多野氏の本拠とします。
   霧山登山道の露岩から北近畿豊岡自動車道の氷上ICを望む
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一時期:波多野氏が氷上郡を陵駕した時期があり(詳細未調査)その時期なら解るが、突然此の地に入ってきたものか?、八上波多野氏とは親戚筋とされるが詳細不詳。宗高は盟友の越前朝倉氏を救援するかたちで信長軍と対戦し敗死したとされるが、伝承は史実に合わない・・・という。戦後:家臣の手で持ち帰られた首が首塚として霧山北裾の波多野神社に祀られ、大正4年(1915)大正天皇の御大典のとき贈られた彰徳碑「贈従三位波多野宗高碑・大正6年 3月建立」が立つ・・・が波多野宗高もまた実在不詳の人物。
   霧山城:主郭南面に二段の帯曲輪(二段目から)
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波多野氏菩提寺が無い事・中世後期の城なのに縄張り遺構が曖昧な為、幻の氷上城とされますが宗高・宗長の父子二代の本城といい、宗長は丹波攻めの際:玉巻城の久下氏を救援・丹羽長秀軍と戦うが落城:自刃します。
正親町天皇即位に際しては皇室が衰え御大典の式も挙げられない窮状を知った宗高は、中国の毛利元就の誘いを受けて八上城の波多野秀治・北陸の朝倉義景等と資金を集め、永禄3年 (1560)1月に御大典の式には赤井直政(黒井城主)はじめ 丹波各地の諸城主や毛利元就の子・小早川隆景等と京都の警護にあたり、無事に式典を終えその上御殿までも改築したという。
  霧山山頂主郭:北西から東〜南面へと廻り込む帯曲輪と上り土塁状?(手前)
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この忠勤により宗高と秀治は正四位・侍従の位と桐の御紋・の旗を賜り面目を施こしたといいます。霧山は此の桐の転じたものか?。県遺跡分布図には霧山に城の否定説と共に霧山城が載せてあるが、霧山こそ幻の氷上城・・!!。城山トンネル(ガンジョウジ城)から北に延びる尾根筋から霧山に向かう短い西尾根以外は天険の要害地。此の西尾根の一本の埋もれかけた土橋付き堀切? 尾根上の削平は甘いが広く、山頂主郭の南面には二重の帯曲輪・西南や東南端には数段の曲輪さえある・・・!!??

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