加都城 朝来

雲海に浮かぶ天空の城・竹田城を望む立雲峡からの写真をよく見かける。此の但馬竹田城を但馬街道(R312号)と円山川を挟んで真東の金梨山からは、よりダイナミックに総石垣の山城を眺望出来ます。
  
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竹田城の落城の姫様の”悲しい山”としての伝説を遺す金梨山から北へ延びる尾根は先端付近で舌状に流れ出る低丘陵となり、最北端を筒江橋の交差点:北近畿豊岡自動車道高架下付近で県道136号の筒江・加都の分岐点の其の先端を落とす。此の分岐点から筒江城へは先のブログで紹介済ですが、此の尾根先端部には県遺跡分布地図に加都城の記載が有る。加都城がどのような城であったか、築城時期・城主等の城史一切は先の筒江城以上に不明です。
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要衝を繋ぐ間道筋監視としての拠点として位置の立地は考慮出来るが、300m程の小さな丘陵部一帯は墓地?、造成改修等を推察しても遺跡図に記された七段程の曲輪が有ったとは思えず、所在も筒江地区内?なので低丘陵を北西に越えて加都地区に入る県道136号に降りる。加都地区最東端の建物間から南側丘陵上の墓地に向かうと、墓地背後から送電線鉄塔(奥多々良木出石線No38)周辺の鹿猪除フエンス越しに切岸を見せる曲輪遺構?、土塁・櫓台状を見掛ける。
  点在する古墳群を包含する中、斜面に長い段曲輪?が並ぶ・・
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10基近い城ヤブ古墳群(円墳)を取り込み、県道(要衝か間道か?)北西麓に向かい数段の曲輪段が並ぶだけの陣城状?・・・応仁2年(1468)細川方の内藤孫四郎と但馬山名氏勢力との夜久野合戦の際、竹田城の留守将:太田垣新兵衛の家臣:行木山城守が楽音寺に陣を布いており、加都にも竹田城側守備に駐屯して布陣していた軍が、細川軍の規模や戦力を見抜いた太田垣新兵衛に呼応して行動し、細川方の内藤氏に圧勝したものか・・・?。
   土塁曲輪とも櫓台にも思える一帯の城ヤブ古墳群
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城砦なら加都に設けられた市場や円山川沿い・但馬道(R312号)・筒江から山東町への間道出入口に位置して監視できる加都神社の頂部一帯(加都神社裏古墳群がある)が有力に思えますが此処は未訪・未調査。「但馬の城」や”ひょうごの城紀行”等に城名を見出せなかったが!!?。
長い低土塁線や円墳のマウンドが曲輪・櫓台等の城遺構として利用された跡との自信も無いが、自然地形や営林等のための造成では無さそう・・・

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