赤坂坪砦 綾部

以前・綾部市に田野城を訪れた際に赤坂坪砦と思えたコート?(ゲートボール場か?)背後の藪中と其の東・民家背後には西に2段程の曲輪状!!、東に土橋・片堀切(短い竪堀状)を見て、正面奥の主曲輪?に曰く有りげな”廣田大公神の祠”を見た。 ここから安場城を目指したが城域の丘陵頂部付近の尾根筋は長く緩斜面ながら城址の痕跡を発見出来ず引返した。今回:市の遺跡分布地図を見て場違い・・?  改めて城址推定地点を探して田原城麓から田原川?を渡り西方の低丘陵部に向かった。
  赤坂坪砦(墓地)への入口/大島・高津から福知山へ通じる間道!!
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橋の東詰めに立つ石の古い道標には「右:あやべ・まいづる 左:大しま・ふくち山」とある。京丹波町・福知山市三和方面からは川合を経由し浅木山城【永禄年間(1558-70)山家城の谷氏を攻めた守護代:内藤氏の前線基地として八木尾張守が拠った合戦記録が残る数少ない山城で、八木尾張守の子:助之丞が築いた上安場城がR9号(山陰道)由良川に流れ出る竹田川<丹波市>とは六人部で合流する土師川沿いに有る】の麓を通る府道 709号が田野城麓を抜け、赤坂坪砦(墓所への入口)に向かう。
  墓地詣道に立つ”西岡大先祖之碑”城主を祀るものか?
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比高20m程の丘陵に在る赤坂坪砦は綾部市街地(山陰道)から舞鶴方面(丹後・若狭街道)の監視には不適?:むしろ城域を通り大島・高津・観音寺から福知山(天田郡・何鹿郡)へ抜ける通行の関所城だったか?。赤坂坪砦は中世末期の平山城で江田行範の家臣:西岡丈助が拠った綾部城の支城と考えられています。現在城域は墓地となり造成・改修で土塁・空掘遺構の確認はむつかしそうです・・?が、此の間道が大島・高津へ抜ける事を考えると・・
  城域の墓地とは反対側の平坦地:曲輪を分ける空堀?
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大島の甲ヶ岳城・高津の将監城等は、永正4年 (1507)丹後の一色義有を攻めた細川政元軍が高津に陣を布いた丹後攻めの前線基地ともなり、国人:大槻氏の手を離れ守護や守護代クラスが駐留した施設と考えられます。 また三好氏 ・内藤氏は甲ヶ岳城を築城(大槻氏の城の改修か?)して奥丹波支配の拠点となっており、丹波守護:内藤氏勢力が八木城からR9号沿い三和町から浅木山城を田野城経由・六人部から高嶽の尾根筋を越え安場から将監城高津八幡城・甲ヶ岳城に入るルートが考えられます。周辺の諸城を調査された中世城郭研究家のT氏による・・・八木城から奥丹波の拠点に入る軍事道路の最終通過地点が、田野地区の赤坂坪砦ではなかったか?と推察します。
  城域の墓地とは反対側の平坦地:低土塁曲輪?
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緩斜な広い低丘陵に入って行く入口付近の地形。墓地一帯が城域の推定地だが、道路を挟んだ西側に拡がる平坦地形内に低土塁と切岸を持つ曲輪?。曲輪地形内に見る空堀状等・・竹林中だが旧墓地や山林造成地形とは思えず、関所城・・?と推察したが、更に後期の綾部城や綾部陣屋との関連・築城目的等は不詳です。

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