衣笠城 朝来

JR山陰本線梁瀬駅前を円山川へ流れ出る与布川はR9号(山陰道)を渡りヒメハナバチ群生で知られる楽音寺<天満氏館>前を抜け南へと県道276号線を遡って行くと、丹波市境界(丹波・但馬国境)の粟鹿山南尾根を越える山道で行き止まる・・が一端途切れた県道276号線は丹波市青垣町大稗!?から紅葉三山・高源寺でR427に繋がる。
衣笠城にある主尾根に向かう北尾根の土橋と片堀切状(登城の堀底道?)
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与布土氏館のブログでも「お杉地蔵」の伝承にふれた様に、遠阪峠を越える要衝とは別に・国境を越える生活道路・間道として利用されていたのでしょう。
但馬側の与布土川源頭に越える国境警備の最前線に位置するのが、衣笠山(奥山3等三角点431m<実測430.5m!!>)に築かれた衣笠城です。今年の”但馬検定”にも与布土川流域の奥・此の付近の伝承を残すだけの衣笠城や与布土氏館・虎御前の供養塔等、埋もれ消え去った特異例なので?問題として出題にされることもないでしょう・・?。
衣笠城にある主尾根に向かう北尾根側の櫓台土塁!?
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衣笠城は与布土川沿い(県道276号)から競り上がり西北から東方へ延びる衣笠山山頂に至る主尾根上に城郭遺構が残る。三角点峰の衣笠山頂に主郭を置き・東への尾根続き、急斜面には主郭端からも三重の堀切が確認できます。
衣笠城にある主尾根に向かう北尾根側の曲輪群端:土塁付き大堀切
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主尾根上の主郭西端曲輪の露岩部は現状では珍しく眺望絶佳の展望台。和田山・梁瀬へと山陰道に繋がる山東町の盆地(県道276号線沿いの与布土川流域)と、与布土温泉から立雲峡(桜の名所で此処から望む竹田城雄姿の写真をよく見る)を抜け円山川沿いのR312号に出る県道277号線を北方眼下に望む。
   衣笠城主郭から俯瞰する三重堀切
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以前にも立雲峡や金梨山への登山に利用した県道277号線沿いには、珍しい胴長円墳で・墳丘には二つの横穴式石室が並んで築造されている石積双室古墳がある。大歳谷古墳(三田市)に戴いたコメント以来・・ブログへの古墳紹介は、増え続けるホームページのデータ量からも、削減・撤退のトリガを与えていただいたような様なもの。余り知られない古墳に泥だらけになり潜り込んだり、暗く・冷たく・湿気た石室内に不気味に動きの少ないカマドウマ(翅のないコオロギかキリギリスの様な昆虫!!)を見たり・触れる事も無くなったのは、不人気カテゴリに加え歲でもあり・・歓迎すべき事かも・・・
   三重堀切下から衣笠城主郭北面・東面切岸を見る
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衣笠城は此の主尾根の主郭群の西北尾根端の大曲輪に登り着く手前(北尾根)にも大土塁と大堀切で防備する曲輪群があり、此処に至る下方には屈曲する土橋と深く大きな片堀切(竪堀状)を見る。自然とも後世の杣道として改修されたものとも思えない?。城史詳細は不詳ですが「朝来志」に天文・永禄年間(1532‐70)に松岡盛祐が居城。西山麓の玉林寺が菩提寺で盛祐の位牌(永禄3年11月死去)や、盛祐より1年早く(永禄2年3月)死没した内室の施餓鬼料とした田地の寄進状が遺り。天正年間秀吉の但馬攻めに落城したとある。

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