金鑵城 小野市

県道349号加東市からは播磨中央公園前を通り、河高から小峠を越える直線道路。峠を南へ越えて小野市へ降る西方の低丘陵一帯が青野ヶ原(自衛隊駐屯地)。JR加古川線青野が原駅の次・河合西駅の西方には南北に起伏の少ない低丘陵が延びている。正面の丘陵に見える木製の櫓台が室町時代に播磨守護:赤松氏の家臣・中村氏が築いた「金鑵城」の模擬櫓台。
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金鑵城遺跡の位置は瀬戸内側の加古川から日本海側の由良川へと通じ、山陽道と摂津西国を結ぶ最重要な要衝であり、経済や文化・情報伝達にと重要な役割を果たしています。金鑵(かなつるべ)の城名は、城内に深い井戸があり、その水を鉄(かね)の吊瓶(つるべ)に鎖を付けて汲み上げていた事に由来する云われています。
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公園駐車場からは丘陵部城域を大堀切で切り離された主郭に、唯一進入出来る堀切を渡る木橋から、復元された柵を廻らした土塁虎口を入る。土塁沿いを左へ回り込むと・直ぐ隣には冠木門で護られる虎口。主郭内部には発掘調査によって発見された3棟の建物跡位置だけが表面展示され、南西角に井戸跡(位置や形は不明だが模擬展示)・南東へ突出す尾根先には物見の櫓(模擬展示の為、登れず残念だ)が有る。
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此処からは足元に小野市から加東市へ、加古川流域沿いの播磨平野の展望が拡がる。嘉吉の乱に没落した赤松家再興の為・吉野南朝に討ち入った長録の変では、赤松浪人の一人に金鑵城主:中村正満の子・中村小四郎がいる。西播磨:赤穂浅野氏の忠臣蔵以前にも、東播磨に赤松氏の忠臣蔵が有りました・・が、隣接の加東市滝野には穗積陣屋があり、赤穂藩の飛地領:浅野家の陣屋で吉田忠左衛門が郡代官を務めており、市内には赤穂義士を祀る寺もある。
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