三草藩武家屋敷

三草藩陣屋(三草城)へは滝野社ICから県道17号・藤田交差点でR372号線に入って北東へ約1.7km程。県道144号が上三草交差点でR372号に合流して約500m程。やしろ国際学習塾の北側に三軒の三草藩武家屋敷が残り、その中央が旧尾崎家住宅。  
藩陣屋は正確には・・?やしろ国際学習塾の北・此の屋敷群の裏手一帯の空地や駐車場・畑地らしい?。元文4年(1739)越後頸城郡高柳の藩主丹羽和泉守薫氏 (しげうじ)が大坂定番に任ぜられ、美作・河内両国を領換後の江戸時代中期:寛保2年(1742)加東郡等播磨4郡(加東・加西・多可・美嚢郡)に1万石の禄高で所領替えとなると、譜代大名:三草藩主として此の三草山の西北部・上三草の松林を切開き、街道に沿って並走する三草川を自然の堀として陣屋を構えたのが初まりです。
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陣屋の工事は 赤穂義士・神崎与五郎の弟・光隆が指図して延享三年(1746)に完成させています。ただ藩主が参勤交代をしない江戸常駐の定府の大名で、武家屋敷は藩主が時折お国入りした際に利用する宿として、藩の国元詰めの役人の住居として使用されました。
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三草藩は初代・薫氏から明治4年 (1871)の廃藩置県まで6代長門守氏中に至る121年続き藩政を行ってきました。なを三草藩武家屋敷:旧尾崎家住宅は30石取りで藩の大目付であった藩士・尾崎弥一郎が廃藩置県まで使用していたもので、土日祝日に一般公開(無料)されています。
武家屋敷・旧尾崎家住宅は18世紀中頃(江戸時代)の創建で、木造平屋建・寄棟造・桟瓦葺きで一部に拡幅が見られるほかは改変が少なく、屋敷門・土塀・納屋・覆屋のある井戸端等にも江戸時代終わり頃の武家の暮らしが偲ばれ、武家屋敷の面影が良く残っています木造平屋建・寄棟造・桟瓦葺、平成5年4月27日社町(現:加東市)有形文化財に指定されています。
(兵庫の城紀行 現地三草藩武家屋敷 案内板 参照)

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