岩間城 福知山

福知山市街地の東南方:土師川流域の右岸に長田地区と向かい合う岩間地区は丹波市との府県境にあって、東方を竹田川が回り込む様に土師川に合流する田野と、西方はJR福知山線と塩津峠を越えてくるR175号(水分れ街道)が岩間口(出戸<三軒茶屋>)に降ってくる。
  岩間城:丘陵北東側の土塁・外側に空堀!?
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土師川沿い北へ進路をとって直ぐ堀地区に境する。川沿い東方に六人部七天神のうち,明治期に六ノ社と七ノ社が合祀された天神社?が鎮まる。其処から南へ500m程・低丘陵北端に建つ高浄寺が目的地。丹波市境のCa200m尾根筋から 北へ延び出す枝尾根末端に高浄寺が在り、境内墓所の北端から東面にかけての丘陵部先端部に土塁と段曲輪を遺す岩間城が在りました。
丘陵北端東面の帯曲輪から:曲輪切岸(約3m)
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寺の背後:墓地から府県境へと尾根筋は幅広くもなく・緩斜な上下を繰り返しながら南に延びるが尾根筋に城砦遺構はなく、城域背後を堀切・空堀等で遮断する遺構も無い。尾根末端部に築かれた領地支配(監視)の”村の城”か?。城主吉良兵衛の古城と云い「丹波志」に明智光秀による福知山城普請時に奉行を勤めたが普請成就すると、秘密保持の為か!!?岩間城への帰城の際・土師川に殺害され滅びたと云う。
     低土塁を廻す曲輪
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岩間地区の貴田氏は吉良氏の改称と思えるが・・・?。此の貴田氏は福島家(関ヶ原合戦に家康に付いた戦功に安芸・備後の大名として広島城に入った福島正則か?・・・元和5年広島城を無断で修築したとして改易)に仕え後、福知山藩第五代藩主稲葉淡路守紀通に仕えるが、紀通もまた正月に家臣らに鰤(ブリ)を振舞おうと、井根浦の”丹後ブリ”を宮津藩主:京極氏に無心するが、京極氏が”江戸への贈り物”にならない様にと、ブリの頭を切り落して福知山藩に送り届けた事で諍いとなる・よく知られる伝承ですが、慶安元年紀通は切腹して改易となり、稲葉氏断絶後:貴田氏(吉良氏の改称!!?)は浪人となり岩間に定住・丹波志に子孫あり・・・と。

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