福知山城と明智光秀

NHK「大河ドラマ誘致に向けてのリレーイベント共催事業」3回目?の今回は福知山市で行われている。(9・10まで)京都・兵庫丹波地方において、大河ドラマに登場させたい人物:視聴率:人気先行を考えれば、武将として屈辱的な最期を遂げた多紀郡(篠山市)八上城主の波多野秀治、丹波の赤鬼の異名で恐れられた無敵の武将:氷上郡(丹波市)黒井城主の荻野<赤井>直正や実弟で三尾山城の智将:赤井幸家がいる。全国的には知名度が低いが、当地に於いてもっと認知度を高めたい国人には・旧福知山市の横山城<現:福知山城>塩見氏や何鹿<いかるが>郡<綾部市>の大槻氏や物部の上原氏も、どこか松永久秀と共通する?暴れん坊主君が脇役には面白そうです。
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織田信長の丹波攻略以前:その久秀は京に近い丹波から但馬・若狭へも食指を延ばす三好氏や京・八木城の内藤氏共に兵庫丹波・京都丹波の天田郡・何鹿郡・若狭一色氏へも攻め寄せます。天下不武の号令の下:丹波攻略の総大将:明智光秀により天正7年(1579)横山城は落ち塩見氏は滅亡。
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波多野氏の八上城・赤井氏の黒井城落ちて丹波一国を平定して丹波国領主となった光秀は横山の地を福知山と命名して居城。続いて亀山城(亀岡市)を本拠として移ります。
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横山城は城代に藤木氏と光秀の甥:明智秀満を充て、城を改修したのが福知山城。城の石垣には、付近の寺社などから墓石や五輪塔・宝筐印塔等を多数供出させてた転用石が有る。旧地領主の勢力・権威の否定とも、城を守護する呪術的な意識があったとも考えられています。石材の徴用にあたっては寺社仏閣を破却して持ち出した信長とは違い、光秀は「丹波平定後には寺社再建を約束して石を集めたともいわれています。
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領主との合戦で荒れた城下の町民達に対する税の軽減【後に播磨三木城合戦後の秀吉も此れを行って城下の回復・活性化を促している】子銭免除・河川の改修等の善政をしき、民衆の高い支持を得る事は、新しく領主となったものが領内の早期復興の為の常套手段・・・だが地元では御霊神社に祀られ、此処を中心として築城時の労働の様子等を謳った盆踊りが繰り広げられる福知山音頭もよく知られるところ。城郭内湛水井としては日本一の深さ<50m>と云われる豊磐井も城内の名所。
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天正10年備中高松城攻め羽柴秀吉の援軍を命ぜられた明智光秀が亀山城(亀岡市)を発ち、出陣に際し織田信長の閲兵を受ける為と、信長を本能寺に急襲した「本能寺の変」も、秀吉が中国攻めで留守中の畿内の制圧には頼みとしていた細川藤孝・忠興父子や筒井順慶等の協力が得られず、秀吉の”中国大返し”による「山崎の合戦」に敗死。
  各市PRゆるキャラの・・玉姫(ガラシャ婦人):細川(藤孝)幽斎:亀まる?:福知山音頭の?
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明智光秀没後430年:福知山市と亀岡市・足利将軍繋がりで安国寺にある綾部市?・長岡京市=明智光秀の娘が嫁いだ戦国大名で勝龍寺城主細川藤孝の長子忠興の妻:玉<ガラシャ夫人>、細川藤孝・忠興の田辺城<関ヶ原合戦前哨戦では篭城して・福知山城主:小野木氏ら1万5千の兵を此処に釘付けにした>がある舞鶴市・宮津市等が共催。マスコット・ゆるキャラ出演での各市PR。講師に河合敦氏(歴史研究家・作家・都立高校教師)を招き”世界一受けたい・・・”戦国授業として明智光秀と戦国時代の講演会が本日2012.9・9あったので出掛けてきた。

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