柏原藩織田まつり

うまいもんフェスタ(10月13-14日)と柏原藩織田まつり(10月14日が、柏原八幡神社西麓一帯で開催されました。
    獅子舞(花獅子)の天狗は子供達の演出に変えられのかな?陣屋御殿北側で
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過去には大坂(阪)城鉄砲隊により火縄銃の実演等が行なわれていた藩陣屋では市内山南町の青田獅子舞と柏原陣太鼓が披露されました。
  青田獅子舞(おやまの道中) 鏡で化粧する動作の後・傘をさしての所作
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陣太鼓は城下町(小藩で城を築く事が出来なかったが陣屋が在る!!)のランドマーク:つつじ太鼓の有る太鼓櫓で披露されたが、此処は後期柏原藩主1代目となった信休が奈良宇陀から国替えの際に運び込まれたもの。
  時代行列は陣屋表御門(長屋門)前からスタート
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”織田まつり”の参加者や、観光客には前期織田家・後期織田家の区別は無いと思われますが、両織田家の柏原藩を理解していけば、まつりはもっと内容の深いものに、もっと面白い企画・展開が見られるかもしれません。
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 織田信長の弟・信包(のぶかね)が慶長3年(1598)安濃津(伊勢国)から3万千石で移封され柏原藩が立藩し、3代続き孫の信勝の死去により嗣子なく廃藩となり、慶安3年-元禄8年(1660-95)まで所領【氷上郡<丹波市>と天田郡<福知山市>及び何鹿郡<綾部市>の一部】は天領となっていた。宇陀崩れ(お家騒動)により藩主自害・其の後継織田信休が元禄8年(1695)柏原藩2万石に減封され国替とない、大和宇陀藩は廃藩されます。
 石田通りの太鼓櫓を・・そのまま通過し、御旅所?(休憩)は駅前の太鼓櫓時計前広場!!に変更? 
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柏原藩は天領期を挟んで両:織田家が藩主となっているため・前期織田家三代と後期織田家10代を分けて考えますが、洪水・旱魃さらに窮乏する藩財政のなかでスタートした信休ら後期織田家は、5代信守の悪政で頂点を窮め?、8代:信敬や9代信民が小島省斎と協力して取り組んだ藩政改革・藩校の設立等が霞む。
 うまいもんフェスタ会場の向かいが西樂寺:此処も本陣!!(西園寺公望が山陰道鎮無総督となって篠山市福住本陣から此処へ)
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まつり進行のアナウンスに”織田信長ゆかり・・・の柏原・・”とあったが、”ゆかり”なら柏原八幡社に在った氷上郡黒井城主傘下の「柏原の砦」を丹波攻略の本陣とした明智光秀か、其の後:焼亡した八幡社を再建した羽柴秀吉なら・・・柏原藩とは無関係の信長だが、織田家なら柏原藩前期:信包が信長の弟、後期:信休は信長の二男信雄の五男:高長から始まる大和宇陀藩後継者。
 フィナーレは柏原町のランドマーク:木の根橋
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”織田まつり”は明治4年(1871)の廃藩置県まで176年続いた後期柏原藩織田家ではなく、僅か52年:三代で無嗣断絶した前期織田家に固執したもののようですネ。つつじ太鼓で知られる太鼓櫓は後期:信休が国替の際・大和宇陀から持参したもので、今までは御旅所として休憩されていた場所も素通り・・・?。
 過去の柏原藩織田まつり関連ブログ ↓
2007年10  http://40437108.at.webry.info/200710/article_7.html
2008年10  http://40437108.at.webry.info/200810/article_4.html
2008年10  http://40437108.at.webry.info/200810/article_5.html

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