中井権次 彫刻師:中井一党

”丹波柏原町住人 彫刻師:中井権次xxx”……の刻名を版木に遺す中井家は丹波柏原の地に在って・江戸時代後期から昭和初期にかけて活躍し近在に名声を博し、其の多くの匠の彫刻作品が:兵庫丹波や摂津・三丹(京都丹波・丹後・但馬)・播磨等:近畿一円の寺社に残されています。
   丹波市氷上町:大護神社の波兎…中井権次正貞
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つい最近になってからWeb上の地元新聞ニュース版から、奥丹波の一地域に傑出した彫刻師:中井権次の作品に感銘を受け、各所寺社を巡って調査・研究されているグループの活動を知った。成果物を拝見・拝読していないが、遅ればせながら、私のサイト内過去の関連HPから”丹波人物史”に追記した。此処に云う「中井権次」は個人名ではなく、江戸時代:丹波柏原に拠点を移して活躍した中井家(大工職・宮大工)と其の一党で、初代中井(橘)正清は宮大工の棟梁として中井一党を率いて柏原八幡社の造営等に携わり、江戸時代の京都大工頭の地位にあった名工・名門。
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法隆寺の修理・江戸城・日光東照宮・大坂城の築城等にも関わっている。この時期の社寺彫刻が中井家・一党の誰の手になるか、別に彫刻師集団がいたかは知らないが、3代までは大工職。江戸時代後期:中井家4代目中井言次(君音)定忠が彫刻師としての初代。
    大護神社(丹波市氷上町)
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明治初期:6代(中井家9代目)中井喜一郎の時、柏原から丹後宮津に移転して彫刻師:中井家一統の丹波柏原町の時代を終えます。彫刻師としての2代目中井丈五郎・6代目を除いて3代中井権次正貞・4代中井権次正次・5代中井権次正胤と”中井権次”を襲名しています。
 丹波市山南町(日吉神社の脇障子)…彫刻師初代の中井言次君音(中井権次定忠)
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山・山城・イベント次いで:中井一党の彫刻等を意識せず、系統立てて立ち寄った神社でないので偏り甚だしく、丹波市内の多くは殆どが彫師3代目:中井権次正貞のもの・・!!?
日吉神社(丹波市山南町)・・・・・・・彫師初代:中井言次君音<中井権次<橘>定忠>
高津八幡宮(綾部市)……・2代目:中井丈五郎正忠
柏原八幡神社三重の塔(丹波市柏原町)や岩戸神社(神崎郡市川町)……2代目:中井丈五郎正忠と3代目:中井権次正貞
 丹波市柏原町:新井神社の神猿…中井権次正貞
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大護神社(丹波市氷上町)や新井神社(丹波市柏原町)・文保寺(篠山市味間)…・3代目:中井権次正貞・春日神社(篠山市本郷)…・・中井清次良橘正用(権次正貞の弟)
なを寺社造立・再建にあたり、中井家一党の他にも同時期・大工集団(但馬・播磨方面では特に久須氏一党等!?)による共同作成もあり、篠山・摂津方面に彫師:新井弥三郎正次(新井家大工頭か?)銘も遺るよう。寺社建築にあたっては棟札等に記され判明しても、彫刻師が郷土史誌にまで記され残される事は少ない縁の下の力持ち。

上記の様に熱心なグループや個人の調査・研究を待つしかないのかも・・。

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