東鴨野城 Ⅰ

京を追われた足利高<尊>氏が二度までも久下氏を頼り逃れた石龕寺(丹波の紅葉三山)から岩屋山(石龕寺城)〜石戸山(ふるさと兵庫100山だったが・・・今は?)〜高見城山〜悠々の森へと縦走登山コースがある。石戸山から南へ延びる尾根先(篠山川を望むJR谷川駅近く)には久下氏の拠城:玉巻城が在る。石戸山から鉄平石採石場跡?の”賽の河原”を抜け送電線鉄塔のピークに向かう。
 東鴨野城域(尾根筋東末端)の曲輪
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此処が高見城南曲輪(中の台の城)で目前に本城の高見城が在り、石龕寺に逗留した高氏嫡男:義詮を守護した仁木賴章(丹波守護職になった)が築き「太平記」に登場する佐野城です。丘陵西の氷上町佐野を大手の佐野城は戦国期になる北麓:柏原町鴨野を大手とした赤井氏の高見城となり、城域は東・北尾根に展開していく様で、嘗て氷上回廊(加古川・佐治川)沿いに北上した延喜式山陰道の要衝が、鐘ヶ坂ルートにより柏原町・氷上町通過に変わった対応とも思えます。
  家臣屋敷跡背後の尾根筋:あかのキ山(175m)の祠跡?
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高見城主郭から東へ延びる縦走ルートは途中の鞍部から「丹波悠々の森」に向かいますが、急に尾根筋を辿る登山者が絶える登り尾上260m峰(東屋休憩所がある)から、禅座坂を経て二つの小さな瘤(Ca180〜175m峰)を過ぎ、民家に其の末端部を落とし込む所に祠が祀られる曲輪までの広範囲な尾根上の平坦段と、此の二つの瘤を背にする山麓には土塁横掘を廻らす家臣団屋敷跡?を含め東鴨野城が在りました。
 ”あかのキ山”曲輪?から北方の眺望(左に母坪城へ延びる城砦群の一つ:毘沙門砦を氷上盆地に抜ける県道)
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鴨野の土塁堀切・高い切岸や櫓台・曲輪段・縦土塁と竪掘遺構が明確な所在以外・大新屋の尾根筋末端の曲輪段が砦跡(苅萱坂〜柏原方面へと東西に通じる鴨野城の街道監視の物見砦?)を想定できるが、左右に急斜面の尾根筋は自然地形。禅座坂迄の二つの峰上(175-185m)と、260mピーク(休憩所がある)には平坦地・平坦段を窺わせる自然地形があり、砦城や高見城登城や連絡中継所の機能も併せ持っていたのかも・・・?。
 東鴨野城域最高所(260m)休憩所:尾根筋に段差低い曲輪・右手(北)に二段程曲輪<羊歯類に覆われ確認し辛いが…>
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新井小学校裏からは丹波市市制発足記念事業で整備された登山コースが175m峰「あかのキ山」まで延びており、山頂に祠跡らしい石積・石在が遺る。元:祠に鎮まる祭神が丘陵尾根東末端(民家上)曲輪の祠か?、新井小学校裏手の曲輪(今は家臣屋敷群の広大な曲輪の下段に在る旧墓の端)に在る祠に遷されたものか?、廃されたか知らないが…、南は山南町・石戸を越えて悠々の森へ降りてくるルートと、北を鴨野・小新屋・田路・母坪(穗壷)へ、県道奥野々氷上線の間道監視には適した位置にはある。
 東鴨野城域(尾根筋のうち”あかのキ山”175mの位置)

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