大部谷城 丹波

山南町側から県道86号線が奥野々峠を越えR176号に合流する付近・下小倉地区は鐘ヶ坂を越えてくるR176号【旧山陰道】に円成寺館・円成寺城(獅子山城)が、県道側には独立低丘陵上に大部谷城<柏原町下小倉>が在りました。大部谷城の北西・JR福知山線側の丘陵上には、埋蔵文化財分布調査報告書には未記載の城遺構・金水寺城(仮称)が在り、二城が奥野々峠を挟んで呼応して玉巻城(久下城)の北東側玄関口を警備・監視したものか?。諸城との関連や築城目的・年代・城主等の城史は何れも不明で、推測の域を出ませんが・・・・。
  大部谷城唯一の遺構が埋もれかけて堀切!!
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山南町側の久下氏は丹波守護代となった頃には柏原町下小倉庄をも所領としており、是等が玉巻城(久下城)の城砦群であった?(室町期の何時頃まで続いたかは知らないが…)とも思われます。大部谷城が久下氏の砦であった可能性は、標高200mに満たない城域だが北裾を奥野々峠(県道86号)からの車道【今はトンネルで抜けるが、以前はウッカリしていると一旦切り返す羽目となる急カーブ・急斜面の九十九折れの峠道を越える】が通じ、東面麓はの集落から南の丘陵に向かう林道は県道292号線で上久下地区篠場から境界尾根上の篠場峠を越え柏原町下小倉へ抜ける道
大部谷城東(稲荷曲輪側):左手前が県道292・篠場峠:正面県道86号奥野々を玉巻へ
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篠山川沿い県道77号の篠場地区入口東側には篠場城が在り、地区内殆どが村上姓を名乗る。先祖を瀬戸内の村上水軍関係とも・・・云い、足利高氏の信望篤かった久下氏を頼り・海とは疎遠の山里に隠れ住んだものか?。
古来より久下氏本拠の玉巻城からは奥野々峠を、篠山川沿いの篠場城からも篠場峠を越えて、領地管理や物資輸送等を通しての間道だったのでしょう。峠を山南町へ少し下った所には江戸時代中期・寛政5年(1793)建立の石仏が岩場側に祀られています。昭和初期!!?頃まで下小倉側から魚の行商の為・峠を越え通っていた人もあった様。
 稲荷曲輪は旧山陰道(R176)・県道86号・県道292号交差する大部谷城東端の物見台!!
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大部谷城へは丘陵麓に立つ稲荷神社参拝鳥居が県道から見える。民家の庭先を抜けるのが気兼ねですが、直ぐ上部の稲荷社境内にたつ。東側に篠場峠からの道(県道292号は民家の先で林道・・・その先で山道となり篠場側集落内に降りて県道77号までの約1.5km程を292号で繋ぐ)を足下に望む、間道監視の曲輪。尾根から西に辿る鞍部に埋もれかけの浅い堀切?。尾根を掘り切るには北側が曖昧:南下へ落ちる片堀切の様。藪っぽくなる西尾根は無線中継施設を経て、更に雑木藪に埋まるが、Ca180m程の峰に着く。藪に覆われた緩斜面が先に延びる最高地点。此処が主曲輪と思えるが曲輪内に古墳があったともされるが、雑木藪に覆われた現状では表面観察も無理。

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