西宮砲台 西宮市御前浜

甲山・北山公園から満池谷、此処から苦楽園口を夙川沿い・両岸の桜堤を進み、阪神香櫨園・R43号線を越えて夙川オアシスロードを南へ進むと夙川河口末端に回生病院がある。野坂昭如氏の小説「火垂るの墓」では空襲で母を亡くした兄妹が疎開した西宮での登場舞台です。夙川河口の回生病院から西へは芦屋市境まで・雑草と荒れた砂地が拡がるだけの御前浜公園だが、嘗ては関西でも代表的な海水浴場の一香櫨園浜だった。
  夙川河口と回生病院
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時代の波はその姿を変え汚染した海水浴場は閉鎖され昭和50年頃からは沖合の埋め立て工事が始まり、海水浴場が開かれていた当時の面影は殆ど残っていない。一時期は水上バイクの騒音が気になっていたが、兵庫南部地震以後は知らないが、砂地に佇むアベックや散策を楽しむ人・ウインドサーフィンを楽しむ人達の姿を見かけた。砂浜の中程を過ぎると御前浜"と名が変わっている様?で、浅い生簀にエイ・イワシ…が泳ぐ釣り堀屋?が30数年程前までは1軒残っていた。砂浜が続く東端の少し高くなった(1-2.5m程)堤防状に松林が残る。 
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この堤防状は・その内に在る白い円筒形の建造物が囲む半円形を呈している。建造物が西宮砲台で、堤防状は砲台を囲み防弾と土留用の石積みも遺る土塁の残土。200m程東末端が嘗て・太平洋横断の堀江謙一氏が此処から出航していった西宮ヨットハーバー。東南先端には西宮の勝鬨橋(跳ね上げ式の御前浜橋)が西宮浜を、西宮マリーナの東側には西宮大橋が西宮浜を繋ぐ。新西宮ヨットハーバー(新西宮マリーナ)は西宮浜南端部にありミニマーメイド号やサントリー・マーメイド号が展示されています。
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西宮砲台は国防不安を感じた江戸幕府が、勝海舟の建策をいれて大阪湾沿岸の今津・和田岬・川崎<湊川>・舞子等…砲台を築いた其の一で、文久3年(1863)着工したが幕命で海舟は江戸に帰り、中断していた工事は慶応2年(1866)頃から酒造家らの出資で地元の人達だけで再開されたが完成時期は不明。完成後に一発試射したところ、硝煙が堡内に立ちこめ、実用に向かなかったが、実際に使用されることも無いまま明治維新を迎えたが、大正11年3月8日に国重要文化財に指定され、昭和49年修復に着手されています。
   今津砲台(堡塔)の残石
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大坂湾から淀川を遡り京都に侵攻する外国船に備えても、勝海舟が築造指揮し内陸部に築かれた国内唯一の河川台場がある。枚方市の淀川左岸に楠葉台場・右岸の高浜にも砲台【台場】があった。楠葉台場は京街道を取り込んだ関所城として江戸幕府が尊皇攘夷派の活動から京都を防衛する事が主目的の造営だったようですが、慶応4年(1868)鳥羽・伏見の戦いに、幕府軍不利とみた津藩守備の高浜砲台が官軍に内応して、対岸から楠葉台場に砲撃を加え、敗走の幕府軍は砲を破壊して退去した。鎖国から開国を迫る黒船、幕府と尊皇倒幕運動、動乱の幕末〜明治維新にかけて砲台・台場…の貴重な時代背景を語る歴史遺産。    
YouTubeに国史跡:楠葉台場の説明と復元CGを見つけたので紹介→http://www.youtube.com/watch?v=3sXhgHzENrA

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