今帰仁城 沖縄

夢のよう? 初めて?近畿圏外の貴重な城廻り経験が出来た!!…が単に遊びで行くわけではない!!…と自由時間が余りとれず・しかも沖縄では珍しい!!?朝から深夜まで降り続く雨の一日を挟さみ、おまけに?車・道路等の交通事情では時間ばかりとられて計画通りには捗らなかったが、疲れ気味の妻君を騙し騙しそれでも…ユネスコ登録の世界遺産「琉球王国のグスク関連9資産」のうち沖縄の城(グ_スク)城5城と首里城公園に入れば自然と目前を通る「園比屋武御嶽石門」を訪れたが、公園内の王陵・近隣の識名園に寄れなかったのが心残り…。
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城と書いてグスクと読む?が、グは石:スクは囲った場所を指す意味からも城郭だけを表わす言葉では無かった様で、訪れた城址の中城城を ”なかグスクじょう”と読むのは間違いでなく・むしろ正酷だと実感!!?。
初日の行動時間には余裕もなく、距離的に一番遠い今帰仁城に高速道路の端から端までfull利用で向かった。
   主郭から志摩真門郭(家臣屋敷)
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今帰仁城は琉球王国:首里城に匹敵する大規模な城郭。何よりも大手門の平郎門に向かう為・チケット売り場を出た途端、目の前に拡がる外郭の延々続く「万里の長城」を想わせる。藩政時代・一国一城の濠と高い石垣の城さえ余り訪れず”土の城”ばかり見てきた性でもないが、石・石・石…しかもカーブを描いて長く延びる城塁・城壁の、うねり曲りながら長く延びていく樣は感動。
   外郭(左端にハンタ道がある…)
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城への入口・平郎門へ向かう観光客と離れ、外郭の端に向かう変わり者は先ずいないのかも?。石塁の外側を”ハンタ道”が延びている。説明板を読まなかったが馬車道だった様子からは集落でもあったか?。此処が山麓の今帰仁村から通じる大手道…
引き返して平郎門から七五三の参道階段を登る。七・五・三段で続く石畳道は昭和の復元?だが、疲れず登りやすい道。城なら寧ろ反対に登り難い不規則な段差に設定される筈!!?。 パンフレットにある旧石畳道は平郎門の右側に、曲がりくねった大きな岩盤のカーザフ側<川が迫まる谷間の意>の谷間を利用し防衛機能上からも幅狭く急な登り道が発掘調査確認されています。
   平郎門(城内から)
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参道を登りきって入った郭御内原?は城内でも神聖な場所で当地域(国)や城の守護神を祀る御嶽。祭祀は女性のみで行なわれる為男子禁制の場所でもあるが、北端からの眺望に優れ大隅の石塁・今帰仁村全域や、琉球王国・北部地域の北山(国頭郡)の山並・東シナ海を眼下に望むロケーションも素晴らしい。
   御内原から大隅(郭)の城壁と東支那海を望む
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13世紀末:琉球王国成立以前の三山(北山・中山・南山の三つの王統)時代には北山を支配する按司の北山王が
三代にわたり支配したが、1416年”中山”の察度王統の武寧王は尚巴志(しょうはし)により滅ぼされており、難攻不落の今帰仁城も巴志の策略による家臣の裏切りに落城したと云う。其の後:南山も同様に落とし尚巴志が三山を統一を成し遂げ、琉球王統は父を名目上初代に、二代尚巴志が実質の初代琉球国王に、三代を二男の忠王へと七代63年続く第一尚氏王統・続いて第二尚氏王統が琉球処分(廃藩置県)まで19代409年続いた。
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さて宿泊先の読谷村・残波岬の近くのホテルへ直行のR58号線・・・せっかくなので”万座毛”へも寄り道 既に駐車場空き待ちの車が長蛇の列・・・諦めかけたが近くにコミュ二ティ広場のトイレ付き駐車場を地元の方に教えてもらってセーフ
象の鼻にも似た奇岩(約20m)・隆起サンゴ礁の侵食による断崖絶壁上のテーブル状地形は、琉球国王の「万人が座るに足る毛(野原)」と云う言葉が万座毛の由来とされます。

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