丹波の祇園さん

丹波の祇園さんで親しまれる篠山市の波々伯部(ほおかべ)神社で毎年8月第一土・日に催行される例祭で氏子の八集落から、其々に一基ずつ”ダンジリヤマ(山車)”が宮入する。8台の山車【船山2台、チンチキ山とよばれるもの6台】に今年は7年毎【極く最近!?…三年毎に変わった様】に行われる”おやまの神事”があり、2台のキュウリヤマ(竹製の曳山)が造られる。
  淀山城の在る辻集落の山車:背後は淀山城支城の東山城
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R372号線(篠山街道)沿い・東に淀山城(波々伯部城)・西の剛山城に挟まれた丁度中間付近に鎮まる神社の創建はふるく貞観年間(859~877)(諸説あるが)頃ともされます。
   青銅の鳥居と東西のキュウリヤマ(曳山)の間を宮入の山車
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承徳2年(1098)堀河天皇が 波々伯部村の田を京都の祇園社(八坂神社)へ寄進し荘園・波々伯部保となり、祇園社の分霊を勧進したともされ、波々伯部氏が荘園の下司職を代々相伝し、南北朝期:建武4年(1337)地頭職に任じられた波々伯部次郎左衛門尉為光が、神社の東約800m・辻の淀山に城を築いて波々伯部氏の本拠城とした古豪。〈参考:波多野氏は永正12年(1515)殿町に八上城ノ前身・奥谷城(蕪丸)を築城。波多野氏以前からの土豪>
   宮入した山車は宮司よりお祓いをうける…
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R372号は神社の南方を辻へとバイパスで抜けるが旧道の辻川?沿いから、最初に潜る青銅の鳥居は延徳2年(1490)銘の篠山町指定文化財。鳥居の右手・参道の杉並木の入口に(現状:フエンスで囲まれた中に遺る)ケヤキの枯死した巨木が日置の一里塚(八上城下の一里塚)です。
   稚児はキュウリヤマの宮入で、お迎えの最後のお務めがまっている
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祭礼時には鳥居の左右に此の”キュウリヤマ”が置かれているが、中世期の京・祇園祭等の山鉾は、この様な形ではなかったかと推測されています。此の”ヤマ”を舞台としてデコノボウと呼ばれる操り人形(木偶)の奉納がおやまの神事です。
 天狗・獅子頭を先導に稚児・基の山車が続く大歳神社への渡御
<太鼓が傾かないよう二本の竹の棒と紐で身体に固定するが、この子は最初からムズがっていたが、最後のお務めは果たせたかな?>
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宮入した山車が近くの大歳神社へと渡御し、御旅所でもある大歳神社から戻ってくるのが4時半〜5時頃と聞いて、今日は予定も有り待ちきれずに神社を離れたが、キュウリヤマは稚児の打ち鳴らす太鼓におくられ本殿前に引き入れられて、地謡の曲(この日は愛宕山…他1-2曲が演じられるらしい!?)の人形繰りが奉納される予定だったが、これもまた室町末期頃の文楽・人形浄瑠璃と結びつく以前の祖型として、民俗芸能史上貴重なものといわれます。
  田圃の中の道を大歳神社へ渡御の山車8基が並ぶ(背後には畑市城・上宿城が在る)
 (畑市と上宿からも集落其々の山車が出る)
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京・祇園祭や岸和田(浜)・熊取(ヤマ)のダンジリ祭りでも宵山の情緒は本宮とは異なる。次回の「おやま神事」には丹波の祇園さんにも宵宮の火入れされた山車・本宮でのデコノボウ(木偶の棒!?)もこの時ばかりは神となる奉納人形繰りを見たいもの。
おまけ二題
   稚児の装束
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  先導の天狗面(猿田彦)と獅子頭:山車の列はヤッと神社を出発したばかり

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