三宮神社 神戸

「阪神・淡路大震災「1.17のつどい」に”交流テント”を始めてお世話になっているAさんにお逢いした後に神戸の市街地を歩いてみた。県外疎開から再び戻った感慨から・涙して歩いたルミナリエ会場となっている通りを東遊園地から逆に進む。大丸百貨店の西向かいが南京町・神戸中華街で”春節祭”に訪れて以来10数年ぶりだ。 大丸百貨店の東北角・車道を挟んで石鳥居と玉垣に囲まれる小さな杜に三宮神社が鎮まる。
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三宮神社〈神戸市中央区三宮町>は生田神社の八柱の裔神を祀った一宮から八宮までの神社の中の三柱目に当たることから、周辺を「三宮」と呼ぶ地名の由来にもなっているが、大丸も旧居留地の一角に在る。
 
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主祭神に水の神湍津姫命が祀られていることから、航海の安全と商工業繁栄の守護神として、古くより崇敬をあつめる神社だが、其の創設期等は古文書等の記録なく不詳ですが、境内に史蹟 神戸事件発生地碑と備前(岡山)藩兵が三門の大砲を率いて応戦した事件当時使用されたものと同型とされる大砲が置かれている。
 
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明治元年旧暦の1月11日(1868年2月4日)三宮神社前で突発した備前藩(岡山藩)兵と外国兵が衝突した銃撃戦は、明治政府初の外交問題となり神戸事件(備前事件とも)呼ばれた。「攘夷」か「開国和親」か、朝廷は諸外国に対して徳川幕府から明治政府への政権移譲を表明されておらず、1月15日(2月8日)急遽・開国和親を朝廷より宣言した上で明治新政府への政権移譲を表明、東久世通禧を代表として交渉が開始された”大政奉還を経て明治新政府政権となって初めての外交事件”で、詳細は神戸事件(Wikipedia)等を検索・参照してください。
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慶応4年(1868)1月1日を兵庫開港の日と決めた徳川幕府が参勤交代による 西国街道往来による大名行列と(街道に面して居留地ができる為)外国人とのトラブルを避ける為、西国街道の迂回路として建設が計画され、前年に開通していた徳川道は皮肉なことに備前藩士達の逃亡経路ともなり、また大名行列で使用されることも無いまま廃止。明治維新後は居留地の元町通り付近だけを迂回する新道が出来て不要となり、飛び石渡し・一部石積みを遺す徳川道はシエール道や市ヶ原とのハイキング道を繋いで登山者に利用されています。

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