高山の里 高山右近生誕之地

例年の様に年始末の前後には一度づつ積雪を見るが、今年は寒いと聞いていたのに珍しく降雪を見なかった。2月に入って・このところ雪の少ない丹波市南端部に在っても連日の様に朝夕に雪の舞う事も珍しい。山城探索の誘いを受けて積雪の峠越えは避けたいと思っていたが・・・予定日の数日前には連続の大雪情報。篠山から摂丹国境を跨いで・天王峠越えの能勢街道を豊能郡能勢町森上へ、此処から名月峠野間へ、野間峠を越えて豊能郡豊能町余野の待合せ場所に降りてくる。
  
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近くの二城【・・・といっても名称では知られている余野城と余野本城ではない】を先に訪ねるが、この後に立ち寄る高山を先に。45年程むかし・英知大学(当時の名称で今は・・・?)神学科のシスターや友人達と高山右近生誕地の此処(高札場・マリヤの墓等)を訪ねた事など・・・想い出した。隠れキリシタン”関連で忍頂寺にも行ったような気がするが?、資料館等は無く他に何処へ寄ったかよく覚えていないが・・・。
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城や歴史ファンにとって普通:高山城といえば岐阜県高山市か、岐阜県土岐市(美濃源氏・土岐氏の土岐高山城)を指すのでしょうが、此処:高山城はキリシタン大名として知られた高山右近の里の高山城です。
      西方寺
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R423号から県道4号線に入るカーブが続き雪が残る登り坂の先、高山公民館からスタートするが県道沿い左手丘陵上が(高山)向山城・集落入口に高札場跡・西方寺・明ヶ田尾山へ向かう登山コース側には石面にクロスを刻む”高山右近 生誕之地”の石碑を見る。高山城へは分岐右手正面を詰め上がる作業林道を進む。
”マリアの墓”は右近の母のものとされ、祖母もまた改宗して”ジョアン”と呼ばれたようです。西方寺の由緒(案内)には右近の母”マリア”ではなく、飛騨守(右近の父)の母に洗礼を受けさせた洗礼名”ジョアン”の事が記されていた。キリシタン禁教令・・・等による破壊や糾弾もあって墓石自体も江戸時代中期と、後世のものと思われますが所伝は不明です・・・

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