小浜城 宝塚市

西宮市に在住当時より、震災で居住地を彼方此方と代わったが・今も変わらず付き合い例年:何度か会っている震災前に近所の人達や同級生・職場やサークル仲間達と…妻の友人・知人は多い。そんな友達仲間でも異色で、ズッとお客さんでいて相談相手→友達あり→後に職場の先輩ともなり、彼女が定年後も年2-3回は丹波の田舎まで、旦那さんと一緒に訪ねてきてくれる人がいる。其の旦那さんが突然の入院されたと聞き・宝塚市の市民病院に見舞いに出掛けた。
   
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午前中の面会時間までには少し時間もあるので、病院周辺を散策してみることにした。10年ほど前にも周辺を廻っているが、亳摂寺(浄土真宗石山本願寺別格本山)を中核として整備されている小浜寺内町は、天然の水濠となる大堀川が集落の三方を囲む。病院・中国自動車道側はの往時の様子は窺えないが、大池が有り大堀川の水を引き込み・土塁等で防備すれば地区内はそのまま環濠集落・・・というより”惣構え”の城塞都市であり、亳摂寺を本丸とする小浜城が形成されています。
  大堀川の高い崖が鉄壁の防御となる北門跡の愛宕社
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室町末期=亳摂寺が本願寺派…とくれば・織田信長の弾圧に、一向宗門徒が激しく抗した拠点なのでしょうが、この地での一向一揆?については不詳。豊臣秀吉の養子:三次秀次(尼崎城主:後の豊臣秀次)は亳摂寺に寄った際・寺の二女亀姫を側室として連れ帰りますが後:秀吉に実子秀頼が生まれると養子の秀次が疎ましく、難癖をつけ文禄4年自害させられ、夫人・側室・子供たちも三条河原で殺され、此れに連座して生家・毫摂寺も福島正則に焼討ちされ、その後復興されたが文政年間(1818~29)宗教上の争議で焼かれます。
(現地説明板・ひょうごの城紀行等を参照)

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