徳本上人名号碑 篠山市

徳本上人は生涯・日本全国を行脚し庶民の苦難を救った江戸時代の浄土宗一向院の僧で、宝暦8年(1758)和歌山・日高町志賀に生まれ(田伏姓)4歳のとき友の死に嘆き…”南無阿弥陀仏”念仏を唱えることで、極楽浄土で会うことが出来ると諭され、念仏を唱えるようになったと云われ、27歳の時湯川町の往生寺(御坊市)で得度し徳本を名乗り、厳しい修行を行い、34歳の時修行の旅に出るが、46歳の時京都法然院で除髪し・改めて一生涯寺を持たず浄土宗を広め文政元年(1818)入寂された念仏行者。
  宮田の徳本上人名号碑
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和歌山県内の山・山城レポートにも岩室山(岩室城)・徳本上人千日行の岩<有田市宮原>や高積山(和佐山・和佐富士)<徳本上人に御庵所>に、詳細不詳のまま少し徳本上人に触れていますが、上人が全国行脚で巡教された土地には、その足跡を物語り、旅の交通安全・病魔退散・子育てから古戦場の慰霊等にわたる名号碑(全国に千基以上とも…)が建てられています。
    宮田の徳本上人名号碑

●Ⅰ:県道97号宮田交差点・篠山市役所西紀庁舎を北方へ約250m程の交差点に「右なりあい・左たじま・いせ・しみず・大坂…」を示す天保15年(1844)の石道標が立つ。右は県道97号沿いに成相寺(西国28番:宮津市)、左は但馬へ向かう山陰道。此処からR176 号に出て鐘ヶ坂越えか?、佐仲ダムから春日町東中か、国領への峠越えルートだったか?。清水寺(西国25番:加東市)や大坂(阪)は南へ、伊勢・京都は天満神社・光照寺の南下裾の、今も街道の面影が遺る道をを東へ抜けて県道140号~R372号に出たものか?、往時には市が立ち賑わった要衝は北に成相寺・松尾寺、南に清水寺・花山院(番外)の西国観音霊場巡礼道でもあった。
  乗願寺南下・地区内の灰屋(はんや)
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松平安房守信孝の供養碑覚山天誉上人(足利義高)卵塔宮田の宝篋印塔で紹介した一角ですが、石道標のある交差点から此の旧街道を東へ約150m程入った宮田?公民館の道を挟んで向かいの丘陵裾:未春稲荷社への石段参道入口に、”南無阿弥陀仏”の二つの揮毫・名号碑と石仏が祀られている。小さな石仏の側の碑の左下に「徳本」の文字…<文政11年(1828)子年12月吉日は遺徳を偲び建立されたものか!?>。
    口阪本の徳本上人名号碑
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右側には慶長15年(1610)8月吉日・中世末期の庚申塚。”xxx六人 為之俗xx”と判読文字からは逆修【生前に来世における往生菩提の為に仏事を行うことで、死後の追善仏事よりたくさんの功徳を得ることが出来ると説かれた】の為、庚申待【通常・講として村単位で行われ、徹夜することで庶民の苦悩を救い・現生利益を願う民間信仰】衆が立てた庚申塔は名号碑となっている。稲荷社が籠り堂であったかは不詳。庚申・青面金剛像・三猿像等を丹波市境から福知山市側に見ることがあるが篠山市内にも庚申の彫像や名号碑は随所に残ると思えます。  
   口阪本:天満神社背後の三条山10号古墳<現状>
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●Ⅱ:宮田から県道140号を東へ…「ユニトピアささやま」分岐点・矢代の南方口阪本に乗願寺と天満神社が在る。松平信孝の供養碑にも触れているが、松平(形原)家三代信光の子:興副(ともすけ・諡号<しごう・徳を称える等の贈り名>を光忠)の菩提を弔うため三河国形原(蒲郡市)に創建された光忠寺は、篠山藩内にも11ヶ寺の末寺を設けられ、宮田の摂取山光照寺や、”多紀郡八十八ヶ所の第二十四番:光明山乗願寺(浄土宗)無住<篠山市口阪本>も其の一つ。   口阪本:乗願寺の徳本上人名号碑

石段を上がった右の門柱傍らに立つのが”徳本”刻まれた文字が僅かに確認できる徳本上人の揮毫・名号碑。東隣の天満神社社前の樫の木は町木に、背後の尾根続き丘陵上・二基ほどの円墳の先の最高位置に三条山10号墳(径18m程の中規模円墳・過去のコメント経緯からブログのレポートは割愛)が在るが、墳頂部は削平され「役行者」の浮彫り石像が祠に納まる。台座に室町末期の元亀2年(1571)に元は五輪塔か宝篋印塔が立てられていたものか?。
  西古佐公民館前の薬師堂と徳本上人揮毫碑!?
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篠山市内の山城巡りで山裾農家で時々見る灰屋(はんや・灰小屋)は、丹波並木道中区公園内に復元されているが、畑の有機肥料となる焼灰をつくるための土壁小屋で、足見寺城山麓でも見掛けた。口阪本地区道から乗願寺への南正面下にも半壊し物置になっているが、使用可能!!?な灰屋があった。
 薬師堂の裏手に捨て置かれている古道標(なれあい:成相寺<宮津市>を示す西国巡礼道)
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●Ⅲ:丹波大山駅からR176号に出る手前:西古佐公民館前にも宮田と同時期の近世(江戸時代)ものか?、”多紀郡四国八十八ヶ所の観音堂(第六番医王山安楽寺 薬師如来)”の祠があり、傍らに特徴のある「南無阿弥陀仏」は徳本上人の揮毫・明号碑!!。Ⅰ:宮田の「徳本」、Ⅱ:口阪本の「徳本」及びⅢ:西古佐の「徳本」名等を確認出来ないが上人の揮毫碑!?」ともに由緒や建立年代等は不明。
祠の裏手に標柱下部が壊れた古い石道標が無造作に捨て置かれ、元の位置が不明ですが、”右ささやま(現篠山市街地か本篠山の福住方面を指しているものか?):左なれあい(成相寺・宮津市)”。
  西古佐の徳本上人揮毫碑!!?

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