兵主神社 西脇

R175号の畑瀬橋交差点で加古川を渡る県道559号をとってJR加古川線黒田庄駅前を抜け大門交差点を東へ折れる。地元の知人宅に立ち寄った際「此処の柏餅が美味しいよ・・」とお土産に母に持たせてくれた和菓子店の先・JR踏切を渡ったところに石大鳥居があり、右手(南側)に小学校と宮池<貯水池?>が、左手に駐車場と兵主神社が鎮まる。神社の東:岡交差点でJR本黒田駅方面からの県道294号【日本へそ公園近くを抜ける】と交差する。直進すると”日本のへそ日時計の丘公園”を門柳川沿いに辿り、白山・妙見山への登山コースもある。
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「播磨国風土記」には記載のない?神社のようです延喜式内社に列し、全国に17-19?社あるという兵主社は、兵庫(つわものぐら)の鎮守とされ各国兵制が設置された処に限り設置され・播磨国では姫路射楯兵主神社と此の二社のみ。兵庫!!県丹波市にも丹波国一社の兵主神社が、黒井城と千丈寺砦の南麓に鎮座する。祭神に大巳貴命・大物主命・八千戈命・・等?大国主命の異称か分神が祀られる。兵主神の御神体は矛だとされ、祭器の刀剣や斧等から武器製造の鍛冶の神だともいわれます。
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黒田城が播磨黒田氏発祥地・黒田孝高(官兵衛)は城主重隆の二男で姫路小寺職隆の養子となったとの官兵衛:西脇市出生地説が、荘厳寺古文書等によりNHKドラマ化決定以後”黒田家譜・播磨灘物語・・”以上に真相味をもって語られます。本黒田から南に約3.5kmの兵主神社には、中国攻めの秀吉軍が三木城攻めで急遽播磨攻略に転じ、、三木城攻めの戦勝祈願に黒田官兵衛を代参させて、 祈願成就の燈明田(七反余)を寄進したのも、東播磨・北播磨へと播磨平定への権勢力を示す効果があったのかも。武神と武器製造の鍛冶の神を祀るとあれば、戦勝祈願には打ってつけの神社ですね。三木城攻略の戦勝祈願成就としての奉納金により拝殿の改築<天正19年(1591)8月27日造立の棟札がある>が成され、 社紋には豊臣家の五七の桐が許されています。

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