平井山本陣と竹中半兵衛の墓

10数年前・三木市平井の公民館から竹中半兵衛の墓として知られる白壁に囲まれた廟所?や、三木城包囲の付城群や羽柴秀吉の”平井山の陣(本営-本陣)を訪ねたレポートを掲載したが後日(H15.7)城郭ファン”KAIさん”から平井山本陣は此処ではなく、南側の山で遺構も残っているとの連絡をいただきながら、そのまま再訪の機会を失していた。
    2003年訪城の際寄った半兵衛の墓所:現状と殆ど変らず 
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訪れたのは旧来より秀吉本陣(本営)跡とされ、道標や現地には「平成6年4月三木市経済部商工課」による平井山本陣の案内板も立つていた…が、今回の再訪では道標や案内板の全てが”(伝)竹中半兵衛陣所跡と修正されていた平井村中村間ノ山付城だった。 ”平井山ノ上付城”が発見され・調査後に羽柴秀吉の本陣跡とされた平井山ノ上付城(羽柴秀吉本陣跡)の西麓に竹中半兵衛の墓がある。
   左手(民家上)に伝:竹中半兵衛陣所・正面に八幡宮の杜・右手丘陵が平井山本陣
          平井公民館側からの遠望
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本陣跡と共に”NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」放映化(2014年)”により、知られるが、本陣の麓には戒名の無い?(未確認だが顕彰碑とおもえる)半兵衛の墓と、命日と戒名【深竜水徹】が刻まれ栄雲寺裏山にも在るが、ドラマ化と観光パンフ・紹介によるものか、近畿自然歩道コース上に在り・当初は平井山本陣とされていた半兵衛の陣所栄雲寺裏山の墓所を訪れる人は少ない様ですね。
  先日(2014年)再訪時の竹中半兵衛廟所?<塚の土止め石積以外は殆ど変わらず!?>
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ドラマでは”軍師官兵衛”とあるが軍師…の呼称は中世・戦国期にはなかった。戦略家として参謀として秀吉に仕えた二兵衛(または両兵衛)も:共に信長方に付くことに抗した播磨小寺氏の仕えていた黒田官兵衛・美濃斎藤氏に仕えた竹中半兵衛の二人。信長に離叛した荒木村重(伊丹有岡城主)に幽閉された官兵衛の子(信長に人質となっていた)を半兵衛が匿っていた。京で療養中の三木攻城の本陣に戻った半兵衛が病死して半年後に有岡城(伊丹城)から救出された官兵衛が其の礼を伝える事も出来なかった。
織田軍の一武将に過ぎなかった秀吉を関白にまで押し上げた陰の力・その偉大さ、半兵衛から経営上の新しい戦略を学びとろうと今も”半兵衛の墓”へ参拝される方も多いという。

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