三木城(釜山城)

三木市制施行60周年記念イベントとして祭り屋台大集合が開催された三木山総合公園の陸上競技場は、三木城の支城・出曲輪というより、三木城の大縄張り内の一角。三木市役所・勤労者体育センター傍には鷹ノ尾城(鷹尾山城)が、三木山森林公園・総合公園側には宮ノ上要害(宮ノ上砦)があった。 
    三木城本丸:天守台傍に立つ城主・別所長治像
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布団太鼓屋台の練り込み(宮入・此処ではイベント会場への入場)まで少し時間もあり、市役所から現状では比定地付近に遺構も壊滅状態の住宅地内を抜けて三木城本丸跡に建つ稲荷神社・三木市金物資料館前に出る。北へ抜ける車道(嘗ての堀跡)を分けて図書館・学校旧校舎(埋蔵文化財展示室)の建つ。
   本丸側に建つ稲荷社と市立金物資料館
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平成26年NHK大河ドラマ”軍師官兵衛”放映に先立つ平成25年3月には:三木合戦に関わる関連遺構の秀吉本陣の平井山ノ上付城はじめ包囲網多重土塁や付城群が三木城・支城の鷹尾山城などと共に国史跡に指定されましたが悲惨な飢餓作戦「三木の干し殺し」:三木城籠城戦を伝え知られる場内に城遺構は殆どなく、天守台の土壇・カンカン井戸と、北面には土砂防止策が鉄壁の切岸を想像できる上部に復元された土塀位か・・・?
   三木城二ノ丸に建つ旧校舎跡(埋蔵文化財展示室)
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大河ドラマの”軍師官兵衛”でも・ほんの一過性ながら市内の幟旗には国史跡「三木合戦」と、此の飢餓作戦を画策した二兵衛【竹中半兵衛・黒田官兵衛】ゆかりの地をPRしている。
嘗ての領主・別所氏を攻め滅ぼし新たな領主となった秀吉が、領内の商人・農民を繋ぎとめておくため?に税等を軽減する得策は常套手段。明智光秀が福知山城城主となった時も同様で、旧領主が行なってきた善政なり悪政が伝え残される事は少ないのでしょうか?。
  本丸北面の切岸崖!!:復元?土塀の側にカンカン井戸がある
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将軍足利義昭を奉載して上洛を果たした織田信長はやがて義昭を追放し室町幕府は滅亡すると、天下布武の号令による多勢に無勢、播磨の三大城郭とされる小寺氏の御着城・三木氏の英賀城とともに別所氏の三木城も悲運の落城を迎えます。最後に正義が勝つ?のはドラマだけの世界…。
   三木新城:比定地は住宅街の中で空地・畑地も殆どなし…
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別所氏とは婚姻関係にあった八上城(篠山市)波多野氏・波多野氏と婚姻関係にあった黒井城(丹波市)赤井氏も、主亡き城を護って黒井城は弟の赤井幸家が直正の死を秘して一年余り、八上城も波多野秀治が明智方の策謀に捕えられ自刃ではなく磔により処刑されたが、義弟の二階堂秀香と波多野家臣団が籠城している。八上城もまた三木城同様の飢餓作戦による、阿鼻驚嘆の責め苦のうちに落城。
       三木城本丸 ↓ 

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