花火大会で賑う円応教周辺遺跡

先日(2014.10.04)”丹波市で一番遅い!!花火大会”が宗教法人円応教本部秋季大祭に併せて実施された。例年なら7月の立教祭の行われる丹波で一番早い花火大会が悪天候により中止となり、秋まで順延されていたもの。霊廟前の芝生広場の特設舞台での模様は食堂等設置のモニターに中継放映されていた。
   円応教本部:五法閣
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篠山川沿いの延喜式旧山陰道(但馬街道)の県道77号は山南町久下地区から小川地区南東端に在る円応教で村森に入り南西端の井原に至りR175号に合流する。県遺跡分布地図には此の円応教の西麓・集落北背後に村森東窯跡があるが詳細等は不詳だが、
  
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井原集落境の村森口近く北の山裾に遺跡等未確認ながら県遺跡分布地図に”村森西窯跡(伝:宗太郎窯)”があり窯場の字名がのこるが、窯跡遺跡は発見されていない様子。旧佐治川と篠山川が合流して加古川となる播磨・丹波氷上の国境最前線に位置し、旧佐治川沿いの氷上回廊の入口。
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足利尊氏ゆかりの石龕寺・岩屋城(広沢氏が拠った)からも尾根続きの最南端には、足下に要衝を望み、前方間近に播磨境を望む要衝の丘陵部には、遺跡分布図に山上部に二基の小型円墳(岩屋小平古墳)記載しか見ないが、山上に墳丘を利用した数段の曲輪・尾根南と北の二方の尾根筋にも空堀・土橋状・土塁曲輪状は素人考えながら要衝監視を兼ねた中世井原城館跡と推定しています。井原城館を東尾根麓に下りてくると村森集落の貴布禰神社が鎮まる。
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神社下の寺跡付近に釜場の字名がのこる村森西窯跡が”伝:宗太郎窯”とされている?。円応教の五法閣一階の広いロビーの入口左手近くに、以前は幻の宗太郎窯から出土したものか?数点の宗太郎焼き甕・壷等が数点展示されており、他にコレクション保管されていたと思っている…?。
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「きんざんてつびき」という名壷が高野山吉祥院に奉納されたとも・・・。備前の陶工:宗太郎が、はじめ小野原に来て小野原焼(今田焼)の陶法を伝え、上立杭陶器神社の祭神は一説に:日本六古窯の一丹波焼の陶祖との口碑がある?が、後:此の貴布禰神社下に窯場を設け、良土を得て稲畑(氷上町)にも窯場を置いたといわれる備前焼の流れを汲み、出土品等からは17世紀前半頃のもののよう。
  修練所の仮食堂で…自己申告すれば少し割引があったかも…残念!!?
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町歴史資料館の展示保管・資料等で再確認してみたかったが、数年前に閉館し福祉関連施設になっている。他所の閉館された資料館に保管されていた文化財遺産についても何処に移されたのか?、再見可能なのかが気掛かりなところ…丹波市の村森西窯の宗太郎は近世:備前の陶工だが、篠山市今田町にも一説に平安時代初頭の大同元年:長門国萩の陶工:宗(惣)太郎が伝えて丹波焼(今田焼)の祖ともされ、
 (丹波氷上郡史・山南町誌 等参照)
  智覚山1-2号墳出土品 Ⅰ
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陶器神社の祭神が惣太郎であるとも…、また中世後期:近世初頭にも波多野氏滅亡後の八上城主:前田主膳正が、名工宗太郎に与えた”早苗豊後守”の碑があるとも。五法閣内ロビーに展示されていた数点の宗太郎焼や説明書等は別部屋に移されているようだが、教団本部の大きく切り開かれた丘陵(智覚山?)部の南端には本殿や教祖墳墓・霊廟・供養塔がある。
  智覚山1-2号墳出土品 Ⅱ
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改修工事中?本殿の南側には施設造営中(昭和30-40年代)に発見された古墳(円応教智覚山1~2号等横穴式石室)等があったが消滅。出土した石棺が、此処に移転・白い玉石で覆われ”大地の後親”として祀られています。出土した土器・装身具等が五法閣内廊下の一隅にショーケース内に収められ展示保管されていた。

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