宮ノ谷砦(仮称) 綾部市

R27号線を舞鶴方面へと八田川沿いに向かう綾部市北部:中世荘園の八田郷にあった安国寺領の足利氏・上杉荘の上杉氏との関係は先のブログ上杉弾正屋敷に紹介しているので省略します。八田郷安国寺領から梅迫を過ぎれば高城城(大槻氏)から東へ延び出す尾根末端を山麓のJR宮津線・R27号(丹後街道)に落とす。
  日吉神社(上杉古墳2号・3号が境内に在る)
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八田川を挟んで僅か西200m程で、上杉氏の支城久保城から西へ延びだす西尾根山麓。極狭い上杉荘入口部を抜けて八田川源流部の上杉荘内に入る。R27号から梅迫口?で分岐する府道485号への入口付近・丘陵末端に日吉神社がある。境内に二基の上杉古墳をみる。此処も砦の一角と思えるが背後の尾根続に城址らしい曲輪状・空堀状をみる。
  尾根筋東末端部の二曲輪間は埋もれ掛けた浅い空堀(土橋付)に見える!!?
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尾根続き高城城への山道が此処から通じている。要衝の丹後街道:上杉荘への南玄関口を監視警備するには絶好の位置に在るが城塞の存在が綾部市遺跡地図に記載されていない。高城城に従属する砦が在ったとしても…?、大槻氏は南北朝期-室町時代足利氏に従った土豪:上杉荘の上杉氏は足利氏とは姻戚関係にもある関東管領・上杉荘に居館を構えた上杉朝定は叔母にあたる足利尊氏の母・清子に庇護され尊氏兄弟に仕え、建武4年(1337)丹後守護に任ぜられ康永3年(1344)足利尊氏の姪・高義の娘を妻としている。
  西の尾根続きは長い平坦尾根先北の家ノ谷側に竪堀状(山道?)をみる
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八田郷の高槻保(高槻町)・上村(七百石町・上八田町)方面へ抜ける府道485号線が宮ノ谷砦<綾部市上杉町横縄手>の山裾<横縄手>を抜けるが、東方には此の間道筋?を挟んで今北砦が在る<山裾に西縄手の字名がみえる>。古墳の墳丘を均したマウンド利用の城砦遺構は、現状の宮ノ谷砦(仮称)と同様に曲輪に切岸や明確な段差・空堀・土塁等の城遺構をみない。古い時代の荘園監視の見張台的な二つの砦が呼応しあって、間道(府道)や八田川右岸の要衝(R27号)監視にあたり、上杉氏の居城:八田城への知らせの砦となっていたものか?。

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