尉ヶ腰城 丹波市

北近畿豊岡自動車道(春日和田山道路)・舞鶴若狭自動車線の春日ICをR175号線に出た下野村交差点を南下する県道69号線に入り、自動車道高架を潜り出た”国領交差点”に向かう。先日立ち寄った国領城(流泉寺)も徒歩で150m程の距離にある幼稚園に所用の妻を送った際、国領川を隔てた北側の左手に尉ヶ腰城・右手の丘陵尾根先端部の陰で見えないが、奥隣の尾根先ピークには柚津城が在る。
   進修小学校から竹田川を挟んで尉ヶ腰城(手前南郭と最高所)
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共に南側からの登路は無く・明確な取付き点も見当たらないが、丁度10年前の今の時節に訪れたのを思い出す。当然:ブログ上での紹介は未だなので現状確認を兼ね、思い出しながら訪ねてみた。
竹田川を自然の濠とした国領城は黒井城主:赤井直正の弟(三尾城主:赤井幸家)の下屋敷。
背後には東西に尉ヶ腰城(棚原城)・柚津城・野々間南城・鹿場西城・鹿場東城・下三井庄城…が横並びに配置されている。その中でも”尉ヶ腰城”は三尾城と黒井城の中間に在って・両城へ矢文の受け渡しを行った矢継ぎの城の伝承を伝え狼煙の砦・通信用の繫ぎの城としての重要な位置にあったようです。
    尉ヶ腰城南郭の現状
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竹田川の南側は:黒井城から竹田川を溯る栗柄峠(県道59号)への街道筋は県道97号に合流して篠山市へ・鼓峠を越えれば草山温泉から京丹波町のR9号(山陰道)に繋がる要衝で、”丹波攻略”の明智光秀が一回目の合戦での敗走に・此のルートを命辛々逃れた街道筋。高尾城(長谷城)・岩戸神社城・東中城・河津館・三尾城の一帯を支配した赤井氏(荻野氏)城砦群が要衝を挟んで呼応している。
  竹田川が尉ヶ腰城南郭部の山裾を北へ囲うように流る
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県遺跡分布図による”尉ヶ腰城の城域”は半独立丘陵部全域に及ぶ様ですが残存城跡遺構は期待できないうえ、県道59号側を要衝監視する主要郭と思われる丘陵南端153mピーク上も1-2段(低い段差さえ崩れてか?不鮮明)平坦地形を物見台として推定する程度。尾根北方の最高地点側も”野々間南城”との鞍部を抜けてR175号へ抜ける巡礼道、但馬丹後へ通じる峠越えの間道監視・黒井城との通信中継基地となっていたかも…?
主要郭部の山上へは周囲に以前は無かった鹿猪避けフェンスが張り廻らされているので、北尾根側や西方からのルートでフエンス開閉扉を探すことが先決かと。城史も不明・山城ブログではコメントもないところから関心度は低く・訪城者も殆どいないだろうから詳細は割愛する。
   尉ヶ腰城・南郭 ↓ 

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