大新屋代官所 丹波市

加古川沿いR175号「稲継」交差点から萱刈坂を越え柏原町に向かう県道290号は、新井小学校前東約250m程に(式内社)新井神社への案内標識を見て大新屋集落内へ右折する入口に難波金兵衛(二代目)の高灯籠が建つ。初代難波金兵衛は良質の石材をもとめて春日?から此の地に移った。此の金兵衛の養子となったのが丹波佐吉で、金兵衛に実子が生まれると二代目を弟として育つが、家を継ぐのは二代目・・・と丹波を出て”旅の石工”として村上源照信を名乗っている。
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難波金兵衛の高燈籠から竹安川沿いに地区内の車道を進むと新井神社高見城山への登山口・悠々の森へ向かう分岐交差点手前の橋の北詰めから西へ入る路地道の先・道路沿いからは庭塀のある立派な旧家が大新屋旧上山家代官所跡で、塀の傍らに石標には”旧代官跡”・南正面側には「天然記念物 鶏冠木 兵庫県」と彫られている!!。
  天然記念物{鶏冠木(カエデ)枯株」
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天和2年(1682)佐野修理大夫政行(下野国<栃木県佐野市>佐野藩主)が稲継・鴨野・大新屋を領有した。赤井家家臣だった上山家は赤井氏滅亡後帰農して初代より大新屋の庄屋を務めていたが、宝永元年(1704)6代目上山勘兵衛宗寿が、佐野家代官(総勘定方)を仰せ付けられて以来・慶応4年(1868)明治政府による版籍奉還まで代々代官を務め・上山家が代官屋敷となった。鶏冠木【カエデの中国名?】は上山家初代が植えたものと伝わるが、今は無用?となった”天然記念物・・(昭和13年3月指定)”石標と・枯れたため撤去された石垣積みの平坦壇の跡地だけが、空しく残されている。
  上山家代官屋敷(後:佐野家陣屋:見栄亭と母屋)
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9代目当主:上山吉茂成績は文政11年(1828)佐野氏の代官に任じられ弘化2年(1845)孝之進と改名し、嘉永2年(1849)佐野家が大阪川口番所御船手奉行となった際・孝之進成績も川口勤番となり大任を果たした。安政2年(1855)上山家を陣屋として新築。離れ座敷は見栄(けんえい)亭と名付けられている。安政4年(1857)には佐野家が上山家居宅も陣屋として買上げている。母屋は明治期に建て替えられているが妻入り・入母屋屋根・2階部分が狭いツシ<物置>2階建ての構造。
  佐野家陣屋の家紋鏝絵(波に揚羽蝶)
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丹波佐吉が幼少期・読み書きを教えたのも上山孝之進。現在:上山家当主は関東にあるが撤去・更地を免れた宅地は文化財価値からも、当主意向によるものか内装等現状を遺して維持されてきたようだが、大新屋旧上山家代官所・領主;佐野家陣所としての文化財遺構としてではなく?、景観形成重要建造物として平成22年指定を受けている。
【丹波人物誌・(柏原町文化協会)文化財散歩…を参照】

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