丹波人物史  安藤広太郎

JR柏原駅前から北方へは:派出所ではなく丹波市唯一の交番前から日赤(柏原赤十字病院)前を抜ける道・からくり櫓太鼓のある観光駐車場から丹波市役所支所・木の根橋・柏原八幡神社への表参道!?と、正面中央を丹波新聞社側へ通じる石田通りがある。藩政時代からの商家があり、何よりも田舎の小さな町の商店筋に二軒も本屋があって子供の頃・親戚の叔父宅に遊びに行くと(通りの中程に在った)よく貸本のマンガを読み漁ったのが、中井書店(寺社彫刻で有名な中井家一党が若狭に拠点を移した後も残った中井氏の親戚)だが、奥谷川を渡る手前に在る谷書店も安藤広(ひろ)太郎<明治4年(1871.8.1)-昭和33年(1958.10.14)>の親戚(氏の伯父方)筋。
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以前:柏原藩陣屋前に設置されていた農学者・農学博士の安藤広太郎氏【作造は磯尾柏里の手に成る】胸像が、数年前(4-5年前か?)石田通りの自治会所有地の一角(生家跡?)・柏原藩太鼓櫓(つつじ太鼓)近くに移設された。安藤広太郎は明治4年:柏原町石田の此の地に生まれ、明治28年東京帝国大学農科大学農学科を卒業後・明治31年には日本の風土に則した農業技術の開発研究を目的に設置された国立農事試験場技師として、寒さに強い稲を作り出し、冷害に苦しむ東北地方で米の収穫量を増やす等、農業近代化の先駆者として技術の改良・発展と稲の研究に尽くされた。
「関西氷上郷友会」(贈:傘寿記念)の達磨像は磯尾柏里作:当会員で「文化財散歩」のオフセット印刷は叔父が請けた。
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農学者加藤茂苞(しげもと)【山形県鶴岡市出身】とは同農学部・農事試験場技師として、水稲の品種改良に共同で取組み、世界で初めて”イネ”の人為交配による新種の作成に成功。これ等・農学の第一人者としての功績が認められ昭和28年には文化功労賞・昭和31年(1956)11月3日文化勲章を授与されたことから、其の功績と栄誉を讃え胸に勲章を飾る磯尾柏里による胸像が昭和32年建立された。
(現地案内板・Wikipedia・文化財散歩<柏原町文化協会>を参照)

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