小富士城 一夜城伝説

全国には其の土地々に於いて、其の美しい山容には誇りを込め、富士の名を称して親しみ呼ばれている”ふるさと富士”は多く、丹波市内にも大箕山(青垣町)・三尾山(三尾城)(春日町)や標高231mの低山ながら、周囲四方どこから見ても<西方からの一部を除き!!>綺麗な三角錐の富士型を魅せる独立丘陵の小富士城<高山>(春日町・市島町)は一夜城伝説を秘めています。 
画像

一夜城の伝承は戦国時代の城攻略の為、短期間に構築された陣城の事で、石垣山城(小田原城攻の際で太閤一夜城とも)や墨俣城(岐阜)・益富城(福岡県嘉麻市)等がよく知られるところですが、此処小多利の春日小富士山も、竹田川を挟んで西に対峙する奥丹波の雄:黒井城攻略のため、八上城を落とした明智光秀が友政城・鹿集城を落して天正6年(1578)12月、丹波攻めの最後・「丹波の赤鬼」赤井悪右衛門尉直政攻撃の為此に陣を敷き、周辺の市島町日内・岩蔵、春日町内の野上野城等の諸城を次々落としていった。
  小富士山から黒井城(上部右手中央)を望む
画像

此の戦いで前哨戦伝説には、明智勢(明智光秀が釣り人に成済まして?)が橋爪XX某の老女から、黒井城(保月城)の水源を聞き出し・その水源を止めた伝承もある。しかし水の手を止められ兵糧豊富とは思えない孤城となった黒井城だが赤井勢の意気は盛ん。 「なんとかして敵の闘魂を打ち砕かねばならぬ」と重臣:明智光春は此処に一策を立てる。夜が明けた朝靄が晴れ渡る頃・赤井方の見張番が小富士山頂を遠望して驚いた。一夜のうちに立派な城が姿を現して折からの朝日に輝いている。
     小富士山城主郭
画像

昔から一夜に出来たは近江の琵琶湖と 富士山だけじゃ」、「論より証拠じゃ。あれをみい」指差す山上を見て慌てふためき、城代幸家(城主:赤井直正は既に病死・実弟の幸家が采配していたが、明智方は直正の死を知らなかった…)にも伝えられる。遠望するのに肉眼より術のなかった当時のこと。これはただ表面だけの張子の城であって此れを一夜のうちに押し立てたものであった。赤井方も数頭の軍馬を、わざわざ遠望視野のきく馬場に連れ出して、ザアザア水をかけて馬を洗った。これを見た明智勢は驚いた。 城中の水源は既に切られている。今は飲料水にも事欠くはずであるのに洗馬に使うおびただしい水のあろう筈がない。 しかし、これは水と見せかけた真っ白によくといた米だったという。
  
画像

伝承には後日談まである 水の手を断たれた事が黒井城の落城の要因の一つで、山の水利を熟知していた紀州熊野の豪族:橋爪氏は五大山の黄銅採鉱によって財を成し集落を営んでいたという。一族の老女が黒井城の水源の秘密を密告した為、赤井軍に押さえられ生き埋めにされたと云う。…一族は埋められた場所に熊野三山の一社を勧請し、白毫寺に熊野社を建立し熊野権現を氏神として崇拝した。後・山崎の合戦に負けた光秀を小栗栖で討ち取ったのが此の「橋詰」一族だったと…いうお話。
   (由緒を訪ねて 第3集 丹波新聞社参考)

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 3

なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
ナイス

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック