小富士城 丹波市

御着城には黒田官兵衛顕彰碑の側に「めぐすりの木」が植樹されており、信憑性はともかく・黒田家先祖は広峯神社の神官とも縁をもち、神符を配るとともに家伝の目薬を売って財を成し豪族へと成長していく。此の「黒田官兵衛ゆかり」の地にも小富士山播州小富士山(麻生山)があるが、奥丹波にも春日小富士(多利の小富士山)がある。
  小富士城主郭南東の虎口?
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今日は2月23日:フジサン(富士山の日)に合わせた訳ではなかったが、偶然此の日に小富士城をアップ。一夜城伝説は先のブログで紹介している。標高231m(比高140m程)なので登山という程ではないが三ルート程を紹介:一般的な南麓登山ルートの桃源寺背後から向かうコースは、播磨西脇の比延山城と同様にロープ頼りの急登(以前はなかったので最近設置されたものか?)。
  北曲輪群下方(Ⅱ北尾根コース)展望所より畑山城(中央低丘陵)を望む
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東北の小富士山神社から変電所前付近から柏の池畔を抜けて北尾根?に取付くルート(車道直ぐ北100m程に梶原遺跡がある。霊場巡礼道”なりあい街道”は北約800m程でR175号(但馬街道・福知山綾部方面に向かう丹後・若狭街道)に出る。柏の池傍の墓地背後・比高20m程には30x40m程の単郭・監視台は此の要衝の通行監視砦…。車道を挟んで東の丘陵部に畑山城がある)も現状は荒れ・直ぐ藪っぽい急登は木階段道さえ崩れ・踏み跡さえ一部は判り難くなっているが、上部尾根筋に曲輪段をみて主郭部三段曲輪(切岸も明確・土塁曲輪も備わる、陣城だけに堀切や竪堀は無いが!!)。
   (左手)西国巡礼「なりあい街道」道標石碑(右手は現:一般車道)
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小富士城北尾根曲輪群へ降りる手前・主郭祠から西へ延びる此のルートだけが唯一尾根筋長く、緩やかそう。幅広い整備道が降りていくが、直ぐ下方で左へ折れて細い道になる。真北へ斜面を下ると見張り台適所の岩棚をみるが、山麓近くまで下ると監視所と思える平坦地がある様?だが、露岩・崖状の急斜面と薮でトレースは無理っぽい。
  北曲輪群:三段目から切岸明確な二段目・主郭傍土塁付一段目曲輪
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登山ルートらしい西尾根は鞍部から池尾集落西山麓にある虚空蔵菩薩を祀る明照寺に降り立つと思える?。西尾根最西先端ピーク130m付近も城域最前線の監視台が有った様だが、藪の平坦地形で未確認。黒井城主の守り本尊・虚空蔵菩薩が黒井城を落とした明智光秀の陣城:小富士の西方僅か500m程のところに有り…なんとも皮肉な運命の悪戯か?!。落城し城下まで兵火に、古文書等資料の焼亡に、城史を語るにも不詳部分が多い。
  北曲輪群:さらに下方へのⅡ登山ルート
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とりわけ一夜城の伝承をもつ短期間で敵地に構築された向城・陣城の築城経緯や、織豊系の縄張り特徴・築城技巧にまでは追及出来そうにも無く、伝承のなかに活きるホンの数ヶ月程度の歴史を推察してみる程度では…城史もさらに薄くなる!!?。
明智軍に陣城として知られる要衝の金山城といい、低山ながら眺望絶佳の小富士山に在地土豪らの城塞遺構等・何もなかった筈もない?。金山城は大山荘の中沢氏か栗作郷の久下氏が?、此の小富士山には日内城の高見対馬守(赤井直正家臣)が監視砦を構えていたが、小富士山に陣した時には日内城も落城・砦は陣城に改修されたものか…

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