尉ヶ腰城Ⅱ 丹波

昨年末にも国領への所要で出掛けた際に寄った尉ヶ腰城は、旧遺跡地図や地元史誌等による城跡位置が、独立丘陵部の南尾根先の三角点峰:尉ヶ腰山(点標名:西山王153m)ピークに示されていたが、現:県考古博物館の行政地区の当該Web地図による分布位置は独立丘陵部ほぼ全域に跨っている。主要郭・とりわけ南端の尉ヶ腰山周囲には以前は無かった鹿猪避けフェンスが張り廻らされているので、北尾根側や西方からのルートでフエンス開閉扉を探すことが先決。
  尉ヶ腰城北城(Ca170m)主郭・副郭間の空堀
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尾根続き北方の最高地点Ca170mには主曲輪・副曲輪を区分する、尉ヶ腰城の城塞遺構では唯一顕著な空堀があるが、空堀は埋もれ・崩れてか?尾根を遮断するほどの高く深い堀切ではない。段差は僅か1m程で、左右斜面へも長く延びて落込む堀切ではなく、尾根筋の主郭・副郭を分けるだけ?の箱堀状。最高地点Ca170mから三方に延びるフラットな東西の尾根筋に、平坦な自然地形の曲輪?が切岸をもたず、連続性のない曲輪が遺る程度!!?。南尾根側にも少し平坦地形はあるが、南末端ピークの狼煙台と思える尉ヶ腰城に繋げる関連性はなさそう?。
  尉ヶ腰城北城:東西尾根上のフラットな自然地形(曲輪) 
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竹田川の北(右岸沿い)に尉ヶ腰城(棚原城)・柚津城・野々間南城鹿場西城・鹿場東城・下三井庄城…が横並びに配置され、栗柄峠(県道59号)への街道筋にした要衝監視、其の南西角に位置する尉ヶ腰城(棚原城)は、三尾城と黒井城の中間に在って・両城へ矢文の受け渡しを行った矢継ぎの城の伝承を伝える狼煙砦としての重要な位置にあったようです。
  尉ヶ腰城北城:東尾根上末端付近の自然石(石門?)
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一方:丘陵最高所170m地点の城砦遺構・殊に東尾根筋末端部の平坦地からは、足下に国領交差点から北へ一直線に延びる「なりあい街道」(成相寺に至る西国巡礼道 ・但馬・若狭・丹後への街道)が通じる県道138号線が越える峠に落ちる。峠を経て東側尾根筋の野々間南城館に繋がる。小さな谷間を隔てた北側尾根上には野々間北城館が在る。最高所170m東西尾根筋は「なりあい街道」を竹田川沿い・R175号に繋ぐ但馬街道と若狭・丹後街道の監視砦。
  東尾根末端曲輪?からは足下に野々間南城に繋がる棚原の峠・春日IC-黒井城が望める
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巡礼道、但馬丹後へ通じる峠越えの間道監視・黒井城との通信中継基地となっていたかも…?、氷上・何鹿・天田三郡を領した黒井城主赤井氏傘下の元:領主たちは必ずしも一枚岩ではなかったようで、北方近くの野上野城主は赤井氏家老により落城している。野上野城は多利城とも呼ばれるが多利には明智光秀の陣城小富士城が在る。小富士城を望める尉ヶ腰城(最高所170m地点東西尾根上)は、黒井城・三尾城攻略の向城・兵の駐留に利用された可能性も推察してみる…が?。

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