矢谷城館 丹波

三ッ塚史跡公園・ライフピアいちじま”の南背後を東から約1.5㎞の半独立丘陵尾根が延び、丘陵尾根上には矢谷城が在る。戸平峠を京都府三和町側に抜ける県道59号(市島和知線)に其の西端を落とす。県道沿いに流れる鴨庄川を挟んで、更に西側にも東西約1㎞程の独立丘陵が在り、丘陵上に畑山城館があることは、先のブログに紹介しています。
  矢谷城主郭?はパラグライダ・ハンググライダー基地?
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共に城史不詳で、尾根筋に展開している曲輪と思える平坦地形や空堀らしい溝状も自然地形に同化して?、遺構等・縄張り(城域規模)さえ判然としないが、畑山城の西には篠山方面からの県道138号線”なりあい街道”を挟んで、明智光秀の一夜城伝承もある陣城の小富士城が、矢谷城からは北へ延びる丘陵尾根続は、高谷山(横峰山)へ続く。
   矢谷城:尾根西端ピークの平坦地の祠跡
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高谷山西尾根側には友政城が在る。高谷山から北の県境:竹田川・福知山市六人部側への尾根筋も城跡で在ったとされる。小富士城の西には並走するR175号(丹後・若狭街道)・JR福知山線・竹田川を挟んで、明智光秀にとって「丹波攻略」の最終決着戦となった北丹波の雄:赤井直正の黒井城が在る。
  主郭?:テイクオフ場背後の広い平坦地形にも<愛宕社?>祠跡
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三郡(氷上<丹波市>・天田<福知山市>・何鹿<綾部市>)
を領した赤井直正の本拠:氷上郡<丹波市>へ天田・何鹿からの北出入口から黒井城までの主要街道(R175号)と、京都府三和町側からの県道59号、篠山市から春日町に入って来る県道138号”西国巡礼道ともなった・なりあい街道”を監視・守備する黒井城砦群であったものか?、明智光秀が天正3年(1575)丹波攻略に侵攻を始めた際・赤井方の城塞群を落として、黒井城包囲網の向城に利用したものか?。
   主郭から最高所に向かう鞍部の空堀状?
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矢谷城…!!いかにも中世戦乱期の合戦場になったものと思わせる様な城名だが、築城目的や時期・城主等の城史一切が不明なので、位置や城跡遺構状況から、上記の様に推測するしかなさそうですが… 畑山城から次の矢谷城へと連続する山城探訪は…鴨庄川に架かる其の名も山間橋(やまあいばし)を渡り県道59号(市島和知線)に出て、再び続く低丘陵尾根に取付く。
   長谷山城への南尾根分岐最高所188m地点の平坦地形
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約1.5㎞の長い尾根上に平坦地(曲輪)・空堀状を残す矢谷城の主郭部は、北村城(長谷山城)からの南枝尾根が分岐する最高地点188mよりは、少し西寄り:山頂から山麓へ切り開かれたパラグライダーのテイクオフ場のランチャー台となる青シートが見えるところか?。此のピークと西峰の平坦地に石礎壇を残す祠跡がある。
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西峰から主郭へ向かう急斜面と幅狭い鞍部の南側に横堀状を見て、一瞬逸ったが直ぐに失望。昭和初期頃まで小富士周辺では亜炭等鉱石採掘がされており、其の露天掘り痕らしい?深い穴が口を開けていた。主郭から最高所188mへ向かう鞍部では空堀(竪堀?)らしい溝状を見るが、伐採された木材搬出用の木ズラシの跡かも?。畑山城・矢谷城ともに判然としない城塞遺構と城砦規模(範囲)に迷うだけに、黒井城包囲網としての一向城なら此れでも充分なのかも…?

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