三ッ塚史跡公園・梅林

黒井城とはJR福知山線・R175号(丹後・若狭街道)・竹田川を挟んで対峙して、「丹波攻略」明智光秀の小富士山城が在る。竹田川右岸を小富士山城から更に東北方には独立低丘陵尾根が続く。其の西端を篠山市方面からの県道138号が、東北端には京都婦三和方面からの県道59号が基幹の要衝R175号に合流する。独立低丘陵部からは更に三ッ塚廃寺跡の史跡公園背後から北方の高谷山へと尾根筋を積み上げていく。
  三ッ塚廃寺回廊から梅林と矢谷城
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前者の独立丘陵上に畑山城が、後者の三ッ塚廃寺南背後には矢谷城が在った。共に城史不明だが、長い尾根上に点在する自然地形が黒井城攻防戦に利用されたとすれば、多分に明智方包囲網の向と思えた。
先日畑山城・矢谷城をトレースして三ッ塚史跡公園の降りてきたが、史跡公園に隣接された生涯学習センタや大ホール ・図書館等複合施設”ライフピアいちじま”から市島町喜多へ抜ける車道を挟んで続く高谷山への尾根筋からは西北方尾根部には上垣城が在り再訪してみたかった。
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上垣城は其の北山麓に鹿集(かたかり)城(城跡一帯が中学校敷地)があり別名が上垣城。天正6年:城主:鹿集(吉見)氏は嫡男以下城兵を黒井城籠城に送り出し僅かな留守部隊で明智光春軍と戦い討死の悲話が残る。鹿集城の詰城が上垣城だったか?。此の上垣城の丘陵西面麓に”ライフピアいちじま”の諸施設と三ッ塚史跡公園がある。
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白鳳時代(645~708)に創建された古代寺院・三ッ塚廃寺と、その屋根瓦や鴟尾・須恵器を焼いた釜跡、掘立柱建物群も十数棟発掘された遺跡公園。三ッ塚廃寺跡は東西に三つの基壇が並び、金堂跡と左右に東塔・西塔を配して三つの基檀が一直線に並ぶ伽藍の配置は全国的にも珍しく 茨城県新治(にいはり)や水戸市に其の例を見るだけといわれ、薬師寺式伽藍配置に近く新治(にいはり)廃寺式(日本では三例しか確認されていない珍しい伽藍配置といわれる)国文化財指定を受け「三ッ塚史跡公園」として整備されています。
 ”ライフピアいちじま”の東丘陵:高谷山に延びる右尾根・中央部から左丘陵に上垣城
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三ッ塚史跡公園は三ッ塚廃寺の基壇を背景として、前に拡がる花菖蒲園(63種類・5万株)で知られ初夏の開花期に訪れる人は多い……が花の少ない時期だけに、花菖蒲園とは廃寺の基壇を挟んでは矢谷城域の低丘陵を望む南側、回廊外側一帯に匂う紅白の梅林園を訪ねても…
…梅より桃…!! もう桜花の開花が待ち遠しいのかも…・

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