鞍掛石 丹波市

岩尾城の作右衛門尉師季(もろすえ)【和田日向守齋頼(ひとより)の子:岩尾城最後の城主】)は天正7年5年(1579)丹波攻略の主将:明智光秀の援軍として、西丹波攻略を命じられた丹羽長秀等の攻撃を受けて落城・討死して此処に滅亡。天正14年(1586)近江木戸村(滋賀県)のもと比叡山の法師:木戸十乗坊が3,750石を領して入部し、岩尾城主となって統治10年・佐野氏の居城として近世(初期)の石垣を使用した城郭様式に修改築された。和田氏の中世古城の”土の城”と佐野氏の近世の城郭 ”石の城”:両時代の城郭様式が混在する城郭史上貴重な城です。
”くらかけ石”の旧跡
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小新屋観音・石金山登山口への分岐点に”くらかけ公園”がある。鞍掛石<丹波市小新屋(こにや)>は、元は現:大地農園アースマターズギャラリー前の車道沿いの芝生空地にあったが、昭和61年”くらかけ公園”に移設された。
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岩尾城を攻める織田方の武将が岩尾城を望む此の付近で馬を降り、この石に鞍を掛けて休んだと云う高さ約1m・長さ2.30m・幅約2m程の石で、岩尾城へ投降を勧める矢文を放った「矢の尻」と云う場所もあると聞く!!?。また:此の辺りの長者が夢の中で此の石に近づいたところ、石の下から鶏の声がかすかにするので石を引き起こすと、金の鶏が三羽出てきたかとおもうと・石金山から白羽の矢が降りそそぎ目が覚めたと云う。 どういう意味があったのかな…?。全国に残る金鶏伝説同様に、元日には此の石の下から鶏鳴が聞こえるとも伝わる。

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