畑山城館 丹波

県道69号で舞鶴若狭自動車道を潜ると国領交差点。南に国領温泉を経て瓶割峠を越えて鐘ヶ坂を篠山に出る峠越え道がある(登山に利用出来るが国領側へ下るには危険かも?)…。篠山側はR176号に出て金山城(明智光秀の丹波攻めには多紀・八上城と丹波・黒井城の中間の位置し両城攻めの本陣となった)への登山口。
日光寺背後の東西に延びる低丘陵上に在る畑山城
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篠山側から瓶割峠を国領温泉に出るまで途切れる県道138号線は、国領交差点を北へ直進し割烹辻判前を通り竹田川を渡る。此処に巡礼橋の名が遺るが丹後・若狭の成相寺や松尾寺に向かう西国観音巡礼道”なりあい街道”でJR市島駅近くでR175号と合流する。辻判ブログ内でも説明済の要衝で、直ぐ近くに三尾城主(黒井城主:赤井直正の弟で幸家)の居館国領城が在る。
  堀切状の愛宕社参道尾根筋西側の曲輪群(小規模な前方後円墳?)
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巡礼橋から竹田川下流の西近くには三尾城-黒井城への「矢継ぎの城」伝承さえ残る知らせの城(狼煙場!!)尉ヶ腰城が在る。此の独立丘陵東北端の峠付近には野々間北・野々間南城館が、峠を越えた先・田園風景の中に見えてくる丹波の小富士山も戦乱の伝説を残す明智光秀の黒井城攻め小富士城と県道138号(なりあい街道)を挟んで東の独立小丘陵に畑山城館<丹波市市島町梶原畑山>が在った。
    畑山城主郭?の愛宕社祠
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藪山だけに取付き点探しに苦労するが、此処は鴨神社鴨神社の大銀杏を見てから梶原地区内n入り、前回同様・照谷山日光寺からがベスト!!。畑山城の城史や築城規模等は不明・県遺跡分布図による城域は、日光寺背後の丘陵部を南へ抜ける深い切通道を挟んで東西に分かれて存在するようだ?。
  主郭北東尾根続き曲輪群(埋もれた浅い堀切!!)
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…が備考欄コメントには約200X400mの範囲に平坦地・曲輪・堀切有り…と東側の最高所:畑山157m付近を主郭として、京都三和町方面から戸平峠を越えて市島町に入る要衝の街道筋が城域東端直下を、鴨庄川と県道59号がR175号の市役所市島支所前に出る。狭い自然の切通状【鴨庄川に架かる橋が其の名も山間<やまあい>橋】は向かいの矢谷城の城域へと丘陵続きの尾根が三ッ塚廃寺公園背後へ延びてゆく。なを:此処にも矢谷城域から南へ延びる尾根上に在る長谷山城(船越城・北村城)の存在が空白のまま…!!?。
 東北末端(鴨庄川・戸平峠への県道側の半独立丘)監視出曲輪?手前の切通?道
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日光寺背後の切通道・畑山城の西域は4段程の広い平坦地形で、西端部付近は梶原古墳(全長26mの前方後円墳)で円頭部が削平されたマウンドを曲輪に取り込んだものか?。全城域の縄張り規模は約350x800m程で2倍になる。ただ明確な遺構状態が確認できず、荒れた平坦段の曲輪・埋もれかけの浅い堀切…?城域の両末端部(東西)が県道138号(篠山街道?・なりあい街道)と、県道59号(京都三和町)【明智光春・藤田伝吾が日内城岩倉城を落として黒井城に迫った】に面し、北には竹田川とR175号(丹後・若狭街道)を望む位置は、領主としても黒井攻めの包囲網としても築城目的が見えてくるようですが、

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