又新舎・野山学校跡 春日町

青垣町佐治方面からの帰路は春日和田山自動車道か県道7号「御油」交差点を直進して成松・新郷(赤井氏発祥の赤井野)を抜けるが、「御油」交差点を県道7号へと斜左折して加古川を渡る。橋の東詰めには先のブログ「丹波桜街道」、氷上・花回廊水分れモニュメントの小公園がある。西方に桜並木堤回廊を望みながら桟敷交差点を左折し県道285号に入り、天王坂を越えて春日町に入る。
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天王坂の峠・春日町側に「りくの森」の案内標板があり、元禄14年(1701)4月・忠臣蔵で知られる大石良雄の妻りくが、侍従:寺坂吉衛門等と京・山科を発って但馬豊岡の実家に戻る途中での伝承を残す。天王坂を春日町側に降ってくると船城神社・三叉路を南へ右折し、野山城の東北山麓に在る教覚寺境内の端に石碑が立つ。以前:野山城からの下山時にも此処に下りてきたが、幅狭い車道傍に石を抱く立木を観る。野山古墳の一墳だろうか?。
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境内に立つ又新舎・野山学校跡の碑には船城小学校開校百年記念(昭和49年?)建立とあり、嘉永4年(1851)此処:教覚寺に生まれた「村上専精先生(本姓:広崎)の生誕地」碑が、中央に顕彰碑が立つ。昭和4年(1929)没したが明治・大正期に高等教育の充実に尽力された教育者・仏教史学者で、東洋高等女学校(現:東洋女子高等学校)創設<明治38年(1905)>者で、1917年:東京帝国大学印度哲学科の初代教授に就任。京都:大谷大学学長(1926-28)を務められ真宗大谷派の僧籍にあった。
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次に向かう長王城(長見城)の南麓の田圃・畑地には長盛小学校跡の石標柱が立てられていたが・・・長王城(長見城)の在る低丘陵部西麓から北山麓に向かうと今年は見忘れたが、稲荷古墳の三枚の天井石の端の大きな石を抱くように立つヤマザクラがある。ヤマザクラは旧春日町指定天然記念物

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