野山城(再訪) 丹波市

氷上町側から城山トンネルを抜け春日町へ入って来るR175号線は、JR福知山線と並走するR176号本線(柏原町から丹波署や丹波年輪の里側を走り稲継交差点でR175号と合流するのは柏原・多田バイパス道)向山連山西北山麓の春日町歌道谷(うとうだに)手前・坂のY字交差点でR175号に合流する。
  野山城:東斜面の複数曲輪段切岸に何ヶ所か土止め石積を見る
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ガンジュウジ城(横田城とも”幻の氷上城”にも比定されている)から霧山への丘陵尾根の東西を、城山トンネルや北近畿自動車道が潜る横田トンネルが抜ける付近は、向山連山の山塊に挟まれ東西僅かに500-700m幅程で黒井盆地と氷上盆地を分ける。黒井城への南唯一の玄関口は、「丹波攻略」の明智軍にとっても、守備する黒井城の赤井氏勢にとっても、互いの攻防には最重要地点。此の城山に在ったガンジュウジ城が陣場と伝わり、播磨側から明智の援軍に加わった秀吉方の陣城か?。
  
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霧山への尾根続き北には野山城が在る。「丹波の赤鬼」と怖れられた黒井城主:赤井直正(幼名:才丸)が同族で荻野18人衆と呼ばれた地侍の盟主に請われ天文年間(1532~55)朝日城に迎え入れられるが、其の朝日城配下に有った砦。丹波氷上へ侵攻した京都八木城主内藤宗勝を迎え撃った野山城の大将:才丸が、此れを退けて初陣を飾っています。
 東郭部西端の円状露岩部は櫓台跡か?
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野山城のレポートは先にホームページに、又ブログでも紹介済なので詳細は割愛するが、今回は山城では10数年来付合いの三好長慶ファンで、三好氏(三好氏・内藤氏・松永氏等)関連に造詣深い友を案内して香良合戦(合戦場となった場所・位置等は不詳だが!?)や三好氏関連の城を峠(天王坂)を挟んで案内した。
   西郭最高所の西端は掘切りで尾根続きを遮断
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野山城の東山麓を氷上町桟敷へ超える天王坂は、佐治川(現:加古川)に沿って丹波最後の宿場町:佐治へ抜ける但馬街道で、香良合戦に足立・芦田の連合軍と交戦し、負傷した才丸(荻野<赤井>直正)が此の天王坂か直ぐ東の牛河内坂を背負われて撤退したと思えます。天王坂は元禄「大石良雄の妻りく」が山科から但馬へ戻る時に佐治宿に寄り(町医者の世話になり御礼の盃が遺る!!)遠阪峠を但馬に越えていった伝承と共によく知られる。
  野山城最大の見所:露岩混じり鞍部を裂く大堀切
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天王坂を春日町側に下り、再訪野山城への取付付近に又新舎・野山学校跡が在り、先のブログで紹介したが、教覚寺が”村上専精”先生の生誕地。顕彰碑の嘉永4年(1851)は建立年ではなく村上専精(本姓:広崎)氏の生誕年だった。昭和4年(1929)没したが明治・大正期に高等教育の充実に尽力された教育者・仏教史学者で、東洋高等女学校(現:東洋女子高等学校)の創設<明治38年(1905)>者で、1917年:東京帝国大学印度哲学科の初代教授に就任。京都:大谷大学学長(1926-28)を務められた真宗大谷派の僧籍にあった人…を追記した。

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