比延前田遺跡(三の丸居館) 西脇市

R175号の「嶋」交差点側には西脇津万郵便局が、国道筋直ぐ北には延喜式内社の大津神社は、津万の厄神社で知られる津万郷一円の信仰をあつめる神様。津万郷というより、嶋交差点の西方・アジサイ寺で知られる西林寺や、其の北方一帯:交流グラウンドや寺内古墳群付近に掛けて都麻郷の名称で呼ばれている。
  比延地区の歴史を見続けてきた荒神社のムクノキ(県・市の天然記念物)
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津万(都麻)郷が古来:西脇市の中心地だったところ。其の嶋交差点を東へと、加古川を渡った比延地区のJR加古川線側に比延小学校【比延前田遺跡・三の丸居館】と住吉神社。市道を挟んで東へ、カラー舗装された側道先には西脇東中学校【二ノ丸居館!?】が建つ。中学校の東背後・県道294号線の東:丘陵麓に城山運動公園が在る。急斜面を登る丘陵上には本郷氏の比延山城が在った。
   城山(比延山城)を望む西脇東忠学校(二ノ丸居館)への専用!!?道路
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比延小学校・住吉神社と西脇東中学校を分け南北に走るチョッと狭い市道(コミュニティバスも通っているが!!)を約450m南に戻ると先のブログで紹介した、旧JAみのり比延支店をリノベーションされた”こみせん比也野”でカフェ「へそでちゃ」は水曜日限定20食の定食(弁当や巻き寿司の日も…)サービスがある。
ブログでは:西脇市は黒田官兵衛生誕地説としての有力地。官兵衛の母は明石市の枝吉城?との説もあるが、比延城主(比延常範)の娘との伝承がある…とも記したが、も少し詳しく…
   二ノ丸跡(中学校)西側圃場のクランク<濠跡?>と比延山城
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比延山城は赤松範資(のりすけ…円心の嫡男)の三男:直頼が本郷氏を名乗り、その子本郷頼兼が明徳の乱に細川頼之に従い軍功を挙げ、応永年間・比延山城を築いて(南北朝期末・既に築城に着手していた様?だが、此の地が領有地であったかは不詳!!?)移ったといわれる。其の後嘉吉の乱頃に改修されているようだが、其の後:本郷氏は没落、復興後も戻らず城は放棄されたものか・・・?。
  比延前田遺跡(三ノ丸居館:比延小学校)
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…が比延氏を名乗った本郷氏一族が比延の山城を使用することなく、麓(城主:本庄氏の塚があったという)の中学校付近に二ノ丸・小学校付近には住吉神社が在るが鐘楼も残る神仏混交寺社。住吉神社の神宮寺が在ったものか。境内南端参道沿いの側溝は居館四方を囲っていた堀跡か?。海から遠い地域の住吉神社の存在から、南北朝期頃までは摂津国住吉神社が管轄する荘園と神社を管理していた代官の政所として造営されていたところか?。
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荘園が住吉神社領であったかは未調査・未確認ですが。住吉神社境内を含む北方の小学校敷地内へと広大な三の丸居館が築かれたものか?。”こみせん比也野”から市道を北へ約100m程に荒神社が在り、巨大な御神木のムクノキ(県指定史跡名勝天然記念物<平成16年3月9日>指定)がある。周囲650㎝・樹高26mで樹齢650年とあり、県下第4位・全国的にみても15位以内の大きさという。
  神仏混淆の鐘楼は住吉神社と其の神宮寺:塀の北側は小学校
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南北朝期(南朝の正平年間・北朝の貞治年間)頃から比延山城や住吉神社周辺の遺構の変遷を見続けてきた証人!?だ…が  織機の音は途絶えた様だが織物工場の鋸屋根や、大正?浪漫の公会堂跡(地区のふれあい館)、季節の花(今はコスモスや軒先の柿ノ木)など、歩いていると懐かしい建物や風物を目にする。NHKドラマ化を前に西脇市生誕地説で湧いた「黒田官兵衛」だが、黒田庄町の荘厳寺本黒田家系図には黒田官兵衛の父は重隆・母は比延城主・比延常範の娘:八代?松が瀬の伝説では 於松・松の前〉と伝わる。
  住吉神社域南側を東西に濠跡?の側溝がはしる
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黒田城居館(下屋敷!?)の多田構居同様・加古川沿いに在る比延氏の三の丸居館が其の比延城!!と比定できるのでは?。比延前田遺跡=比延小学校付近?こそ比延氏の娘(官兵衛の母)が居たところか?。比延小学校の位置は古くより「三の丸」と呼ばれており、体育館・校舎建て替え工事による調査によって、約50㎡を堀で囲った室町時代から安土桃山時代(天正1573~慶長1615)頃にかけて造営された居館跡【住居・石組み井戸・柱跡・杭を打ち並べた柵・居館の約50m四方を幅4~5mの堀で囲った跡・水溜池?の跡等が検出され、青銅製香炉・中国製磁器・丹波焼や備前焼の施釉陶器・土堝(どなべ)・土錘(網のおもり)・瓦・茶臼や 火鉢等が出土しています】が発見され、出土品からはかなり富裕層の居館が在ったと推測されます。
 小学校西は加古川を外濠・河川段丘下のJR線沿いに内堀状?の一段低い田圃が!!?
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JR線添い西堀の堀底には土手を掘り残して、攻めてきた敵が堀を渡り難くした仕切り堀(堀内障壁)が設けられていたと云い、居館の堀で・この様な防御設備が 施されているのは非常に珍しいという。現状からも発掘時の一部遺構だけでも遺されていれば…と残念です。比延前山遺跡については西脇市教育委員会の文化財調査報告書があり、西脇図書館等には有る筈だが詳細は未拝読。
   荒神社前の公会堂?(現:地区コミュニティのふれあい館)
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また野村構居上原氏の被官であった比延好種は天正5年(1577)信長命の”中国毛利攻め”の前夜・播磨を固める為、京街道を篠山・黒田庄から比延を経て姫路城に入る秀吉軍に、信長への従意を示し!その大将:秀吉に炭二十荷を贈っており、秀吉からは”炭の礼と比延に新市の興業を認める礼状”が遺されています。「ひょうたんの里」比延地区は地場産として栽培され・作製されている「飾り瓢箪」は秀吉に感謝してのもの。 其の旗印(?馬印としても用いられなかった様だが?、黒田官兵衛の合子形<ごうすなり>兜同様に殆ど使用されないものがトレード!!マークになっていますネ)で知られ、戦勝の度に増やしていったとの千成瓢箪は、縁起ものとしての価値がありそうです。絵付けされた大きな「飾り瓢箪」は西脇市民病院にも寄贈されコンコースの予約受付処理機械?側にも飾られていますヨ。
 比延前田遺跡(比延小学校・住吉神社) ↓

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