山内城  綾部市

府道8号から綾部市街地をR27号線に出て 由良川沿い。山家交差点で府道1号線に入って山沿いに上林川を遡る。上林川に沿った長い流域の谷合いに三上林がある。すなわち:口上林地区から上林城(生貫山城)のある中央部に中上林地区)、 更に舞鶴方面への府道51号(舞鶴和知線)を分けると、 いよいよ府道1号(小浜綾部線)は君尾山東麓【”あやべ温泉<二王の湯>・中腹に名刹:光明寺がある】を上林川上流に向かう奥上林地区。
  山内城堀切の外郭
画像

京都丹波と若狭を繋ぐ上林街道は 古来より通行・物資輸送、若狭一色氏を攻めた細川氏にとっても、途中で迎撃される可能性少ない何鹿郡内を抜け、県境の三国峠を越えれば若狭国小浜に通じる軍道として、距離的にも行軍にはより有効?な街道筋。
  低土塁痕の遺る主郭・一段下の小曲輪と堀切
画像

此処:奥上林地区の睦寄で、府道1号から”あやべ温泉仁王の湯や光明寺”へ向かう分岐点近く、二王公園駐車場とは車道を挟んだ西側に迫る急斜面の丘陵上に山内城がある。築城時代や城主等については不明の様ですが上林城(生貫山城)の支城として、丹後街道と小浜街道が合流する要衝の地に市場の管理・通行監視の城が築かれたものか?。
  南段曲輪から主曲輪の切岸
画像

永禄3年(1560)高田豊後守治忠が織田信長に付いて生貫山城の上林氏を攻略、天正10年(1582)本能寺の変に斃れた明智光秀が領していた上林荘は其の支配を離れ、豊臣秀吉の武将となっていた高田治忠が領して山内城を築き、生貫山城を上林晴国に譲ったとされます…。上林氏惣領家は永正年間(1504~20)頃:山城国宇治に移って大規模な茶園を営み・茶業師となり宇治茶の元祖となっていますので、上林氏庶流の一族が此の地に留まっていたものか…?

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック