長野城 綾部市

先のブログで、山内城と、坂尾呂の里を紹介していますので、その続編としての長野城です。
   長野城主郭の切岸
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綾部:奥上林地区の諸城砦は、中上林の上林城(生貫山城)の支城群として、北方からは丹後・舞鶴方面から府道51号が、東方からは若狭街道・小浜方面からの府道1号が、府道51号は府道1号と交差して上林川を渡り南方へ延びる。
   堀切は埋もれ浅いが左右に落ちる空堀は!! 
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この府道51号は長野城・山内城・有安城への喉元を抜けて、有安城入口部の上市場から草壁川沿いに南の山懐に入ってゆく府道34号に合流し、途中で分岐するが、いずれもが府境界尾根を越える手前で途絶え、府道34号の延長線上は頭巾山-長老ヶ岳間の中程:洞峠を越える?かたちで南丹市美山に、府道51号は峠越えで長老ヶ岳の北麓を西へ下る谷(上和知川)沿いに再復帰?しR27に合流する。
  主郭・副郭間の幅狭い尾根と土塁(中央)
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往時の山越え間道もほぼ同じルートを辿っていたのかは未調査ながら、南丹市(旧北桑田郡美山町)島城の川勝氏が上林荘に侵攻したのも此の山越え(峠越え)ルートだったか?。奥上林の諸城は上林城への東入口を守備・監視した城砦群、若狭側最奥部には未訪問だが神子谷城もある。
   副郭の東・北・西三方を囲む帯曲輪
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長野城は帯曲輪の位置からも丹後・若狭に通じる街道監視が主?だが谷を挟んだ西向の弓削城とも呼応しながら・南方から峠越えでの越境・侵攻の敵兵監視等に応っていたのかも?。城主・築城目的や時期等、戦乱期・城史不明の城は一時期此の地を領有した勢力により改修・活用されたのかも?。

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