山家陣屋 綾部市

綾部市街地から由良川を渡りR27号線を和知・京丹波町方面へと由良川上流に向かうと約5km程で山家交差点。分岐する府道1号線が上林川沿い。野々垣で舞鶴方面への府道51号を分けると君尾山山麓の光明寺・あやべ温泉仁王ノ湯方面へ…三国岳への尾根鞍部を越えれば若狭の大飯町へと東西に上・中・下三区に跨る長大な上林荘の街道筋。
 井戸郭から:北・東面への空堀コーナー部付近の桜
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山家交差点から400m程走った先で由良川に流れ出る上林川河口に掛かる橋を渡る。既に峡谷の風情だが、上流の不動公園へと流れを遡上!?すれば、山家陣屋:山家城址公園が、絶壁上の天険の地にあることが実感できます。直ぐ先に分岐道に”山家城址”への近道案内表示板がある。確かに近道かも?…が最初のクランクを切り返し無しで曲がりきれるかは疑問?
 山家陣屋の表御門と、立派だが!!紛らわしい山家城址石碑
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其処からの直線上り坂も幅狭いので、更に国道筋5-600m程先を左折し広瀬町内を道なりに西走するほうが良いのかも?。道なりに進む最奥部(実際は更に地区道が北へ延びているが…)に山家陣屋表御門(模擬城門で谷家の定紋である揚羽蝶と中央には武功により秀吉から賜った「五三の桐紋」の板が掲げられている)前に着く。
 北面:幅広い土塁架かる土橋付き空堀・外側にも広い曲輪がある
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三木合戦では平田山砦に陣を置き、加古川から美嚢川へと川運により三木城への物資輸送や別所氏への援軍を阻止する任に就いていた谷衛好が別所氏方の夜襲に討死。別所方には数少ない勝利だったが其日の夕刻には秀吉方の軍勢に大敗します。
 北面から東面への広い(二重空堀?)コーナー付近
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この戦いに谷衛好の嫡男:衛友が父の遺体を取返した勇戦に、秀吉より山家に6000石を拝領し初代藩主となり、石山本願寺攻めの軍功では[揚羽蝶」の家紋を賜ります。御門前の脇には[山家城址」の石碑が建てられているが陣屋を城と呼称すると織田家の柏原藩陣屋となにかにつけ比喩してみるが、同様に煩わしく感じる。
 東面:井戸郭側の空堀上部石垣(高さ4-5m程)
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また藩陣屋でありながら、北面から東面にかけて空掘を囲む大土塁・東面内側の高い切岸上部にはさらに石垣を積み上げて侵入を阻止する堅固さが、当時の外様大名谷氏は許されていたか?
山家藩谷家の陣屋訪城レポートは多いが、石垣積みの紹介画像が非常に少ない様なので、井戸郭の東側切岸上部の石垣を添付しておきます。
 谷霊神社付近より西方:足下に上林川の不動公園を見下ろす
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北側の空堀も番所跡の下部:幅広い土塁へは土橋付き・外側にも広い曲輪(家臣団の屋敷跡か?)が遺る。空堀の西端は足元から上林川まで落ち込む竪堀も不要な程の断崖状。北から東へ廻り込む空堀コーナー付近にも切岸上部にも、土留の石積みが残る。

 

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