養徳寺と石仏群 丹波市

丹波市青垣町の養徳寺は以前”丹波の名工・難波金兵衛”でも一度は紹介済です。北近畿自動車道の青垣ICを降り県道7号を北上すると青垣診療所側の沢野交差点。西に加古川(旧佐治川)を渡ると氷上西高校・佐治小学校への旧佐治宿場町。 北東へ右折し遠阪川を渡り 、沢野集落の東奥へ向かう田圃道の先:北近畿自動車道高架下へと道なりに直進すると養徳寺。
   羅漢道より養徳寺
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自動車道高架の先・寺への正面参道前にポツンと一基祀られている地蔵尊だけが目立つ筈。天保7年(1836)造立:難波金兵衛作と伝えられ、流麗な衣紋が印象的な延命地蔵尊です。孝明天皇(在位!!?1848-68)に献じられた石の尺八を[これは日本一である]と賞賛された丹波の名工村上源照信(丹波佐吉はその養子ともなった一番弟子!?。金兵衛嫡男誕生で二代目を継ぐと佐吉は丹波を去り[ワタリの石工]となり和歌山・奈良・大阪に足跡を残しています。  
    延命地蔵(難波金兵衛 作)
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安龍山養徳寺(青垣町沢野 曹洞宗:もと円通寺末寺で本尊:千手観音は恵心【恵心僧都と尊称された平安時代中期の名僧】とされ。氷上郡西国三十三ヵ所観音第22番霊場ともなっている。当所は小和田寺屋敷?跡と呼ばれる場所にあったが寺域狭隘で且つ人家に近く、修行道場として不備であった為尊応教道(第11世 )和尚により真言宗浄土寺(廃寺)跡へ寺を遷された。
     ボダラ
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7号線「青垣住民センター前」交差点を東へ右折すると遠阪川を渡る先の丘陵上:沢野(小和田)には全国足立姓の祖:山垣城主足立遠政の二男遠信が拠る小和田城がある。城主居館や元・養徳寺は此の山麓に在ったのかも!?。南郭への取付き点は砂防のコンクリート壁の切岸となり塞がれ五輪塔だけが遺されている。集落の北方に圃場が拡がり北近畿自動車道が抜ける低丘陵部先端附近にオオサルタ城があった?
     ハンダカ
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【「埋蔵文化財保護の手引き」の行政地区マップに載っているが、自動車道で壊滅状態なのかは不明。今となっては城砦遺構らしい堀や曲輪状も疑わしいが】。此のオオサルタ城裾を廻り込み自動車道高架を潜ったところが養徳寺入口で、先程の延命地蔵が迎えてくれる。慶安2年(1649)石梯全卓和尚により開山された元:養徳寺の遷移計画は尊応教道から弟子の楚雲和尚に委嘱され弘化2年(1845)移設に着手・安政3年(1856)諸堂の建設を終えた。
   眉・髭もユニークな!! ラゴラ 釈迦の子とも云う!!?
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尊応教道和尚は名僧の誉れも高く・人徳学識ともに優れ・その教化道風は三丹(丹波・但馬・丹後)に拡がり、帰依する者・教えを請う者が絶えなかったといわれ養徳寺中興の祖として崇敬されます。養徳寺背山には西国33ヶ所ミニ観音霊場観音像・十六羅漢・巡拝コース中央部には釈迦三尊が安置奉斎されている羅漢道が整備されている。此等は尊応和尚の徳を慕う帰依者により寄進されたもの。 
     西国33所観音A
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五百羅漢等の阿羅漢は「悟りを開いた功徳の備わった仏教修行者の尊称」で、殊に一六羅漢は釈迦の命により永くこの世にあり正法を護持し衆生を導くという。羅漢信仰は江戸時代に入り主に禅宗(曹洞宗・臨済宗・黄檗宗)で多数造られてきた様です。此処でも 「羅漢道」の石段を上がって最初に会うのが第一尊者の賓度羅跋羅堕闍(びんどら)像。第二尊者は迦諾迦伐蹉(かなかばしゃ)…と順序は決まっているようです。
     西国33所観音B
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観音像の多くが左右・いずれかを向き正対する像が少ない様に思えて気になる。第六尊者:跋陀羅は諸寺の浴室に安置されることが多いという?。これ等の石仏群は北近畿(豊岡・和田山)自動車道の開設に伴い養徳寺墓地と共に平成6年(1994)現在地に移されています。
(現地:養徳寺の説明案内板 及びWeb百科事典Wikipediaを参照)

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