キッチンたわや 丹波市

先日:防災用砂防ダム工事現場で、飛鳥時代末頃の登り窯跡が発見された。黒井城跡の城域範囲内に含まれるため、工事現場周辺では城址関連の発掘調査中に発見され稲塚窯跡と出土品について現地説明会が実施された。
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見学を終え県道285号に戻るが、以前より時折に寄る旬華創作 安さんから兵主神社へ、往時を引き返すより其のまま西へ走る。篠山市から栗柄や佐仲を国領に越えて天王坂へ向かう但馬道は、忠臣蔵で知られる赤穂藩家老大石良雄の妻りくが、但馬豊岡へ帰る際に超えていった但馬道。
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県道285号は稲塚から古河・新才で牛河内を氷上町南油良へ・南は石才でR175号に合流する。更に西へは舟城神社前に出て天王坂に向かう車道だ。此の間:黒井城関連の城砦群も多く、殊に新才には黒井城を正面に明智方が築いたと思える輪郭状の向城新才城があるが市史や町別遺跡分布調査報告書にも未発表?の遺構。
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舟城神社まで出ると丘陵上に野山城がある。荻野(赤井)才丸(黒井城主:荻野直正の幼名)が丹波へ侵攻してきた八木城主内藤氏を追い返し初陣を果たした山城だ。牛河内~天王坂を境に荻野・赤井氏一族と、芦田・足立氏に内藤氏・三好氏が助成する形で起こった香良合戦(香良城があるが此処が合戦場になっていたかは不詳!?ですが)の赤井・荻野領地の春日町側に、話は益々面白くなり止まりそうにないのでココマデ…     
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氷上高校前から兵主神社前を抜けて、幅狭い県道285号を西へ走り、現地説明会が実施されていた稲塚窯跡への安穏寺分岐を過ぎると稲塚から古河地区に入る。左手(南側)は田園風景が拡がり住宅地が少いので広い駐車スペース?のある古河公民館は目立つ筈。
 たわやスペシャル:海老やミニハンバーグとはいえ一寸小さい?
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其処から北側地区内への車道二つ目を北に入って直ぐ(4-50m)。県道筋からも確認できる!!?サフランイエロー(?黄色ッぽい壁)の新築一軒家レストランがある。稲塚窯跡見学のあと赤井氏関連史跡の一つ千丈寺にある宝篋印塔確認に、
  …ならばコチラのハンバーグの方が 美味しかった
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古河公民館からARICC○?会社前面の貯水池下へ向かっていた際・見つけたのが、レストラン・カフェキッチンたわや<丹波市春日町古河> さん。ネットで確認してみたがグルメ関連では未だHITしない?が、「キッチンたわや」さんのFacebockがあり、今年(2016)6月18日オープンしたばかりの一軒家レストラン…とある。
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店の前・左右に10台程の駐車場・メニューを見るとハンバーグランチが良さそう…。たわやスペシャルランチが人気らしい?。バイエリッシャーホーフのヴルスト…等ソーセージ盛り合わせ…もあるが此等はデイナーメニューのアラカルト?。店の名が気になり訊ねたら漢字なら[田和屋]:「田和」の姓は珍しい。
   栗きん豚カツ
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地区内・近隣等に同姓は多い様です?。オープンして間なし。地方誌や市・商工会関連店情報を未だ知らないが、既に多くのお客さん(利用者の9割以上は女性!!)で大人気店の様相です。入口右手にカウンター6席だけの部屋。
  ランチメニューには飲み物サービス
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左手にテーブル席と掘炬燵席の小上り座敷が数部屋ある。メニュー内容の詳細は例により割愛するがスペシャルでない方のハンバーグは美味しかったネ。次回は誰かを連れて別メニューに挑戦!!?。パスタやピラフがランチメニューにもあれば嬉しいのですが…

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この記事へのコメント

BBQ
2016年08月21日 20:39
初めまして赤井直正に興味のある関西の者です。ブログ内に直正についての話が多く、楽しく拝見させていただいております!

突然なのですが、赤井直正の初陣について、何か資料などありますか??詳細を教えていただけると嬉しいです💦
2016年08月24日 18:36
BBQ様 コメントありがとうございます。
ご存知のように赤井直正(幼名:才丸)は氷上町の赤井家本拠城の後屋城主【http://tanbakiri.web.fc2.com/TANBAsasagamine-docu.htm#akai】時家の二男。荻野18人衆の盟主に請われ、養子に入り荻野姓を継いで朝日城に入ります。絵本太平記の記事や挿絵による赤井直正像が知られ有名?な為、才丸が(悪右衛門)直正を名乗って以後も荻野姓から赤井に姓を戻した史実はないのですが、説明上レポートでは荻野(赤井)直正としています。天正の乱に敗れた国人の資料は寺社・商家等も焼かれ殆ど遺されていないのが実情の様で、江戸期に編纂された「丹波志]・郷土史研究家等による[丹波戦国史]の頼る事になりますが、内容の正当性まで保証出来るものではなさそうです?。朝日城主・才丸が丹波八木城の内藤氏の侵攻に抗して拠った野山城【http://tanbakiri.web.fc2.com/TANBAkiriyama-docu.htm#nogami】内藤氏を追い返し初陣を果たした山城といわれ、先に侵攻してきた但馬山名氏の竹田城さえ落とし信長の救援を依頼。明智による丹波攻めに落城(直正は落城前年には斃れていたが)するまで負け知らず…とも。京都の隣に位置する丹波押領に食指を動かす内藤氏は多紀・八上城波多野氏へも侵攻をくり返し、共に数年-10年内藤氏が領し、また敗れた赤井・荻野氏や波多野氏共に三木の別所氏の庇護を受けており、別所氏に対する三木合戦前後の援護や縁故があることも…参考に。
内藤氏が絡みながら表立って動きがよくわからない丹波最大の香良合戦(赤井荻野氏VS芦田・足立氏連合<内藤氏が救援に筈だったが?>)で才丸は大負傷しているが、此の戦いばかりはどちらも人的大被害を受けながら、どちらが勝者ともいえない徒労の戦いもあった。

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