千丈寺宝筐印塔 丹波市

JR福知山線黒井駅の改札を出ると女の子”お福”の石像が迎えてくれる。正面の丘陵が黒井城・其の南麓に建つ興禅寺が、此の[お福]生誕地と伝わる。明智光秀の「丹波攻め」の落城した黒井城を預かり、興禅寺を居館とした光秀重臣・斎藤利三の娘として此処に生誕したと云われています。 
    千丈寺の赤井家供養塔群
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織田信長の逆臣とされる明智光秀の臣:斎藤利三は秀吉との山崎合戦に敗死。其の娘・お福も稲葉正成に嫁いだが、夫は豊臣家重臣:小早川秀秋の家臣として関が原合戦に臨むが、小早川は家康に付き西軍を裏切っている。お福は後に離婚:三代将軍となる家光の乳母として大奥で実権を握る”春日局”の幼名が”おふく”。興禅寺山門に至る参道前を東西に抜ける車道が城下町!!?(只旧名等にその体裁を残さないが)。 
千丈寺山(砦跡)西山麓に向かう…
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城下町を西に抜ける氷上高校南東に行者山砦・氷上高校東に兵主神社兵主西砦・兵主西砦からは尾根伝いに千丈寺砦に至り黒井城西郭・黒井城主郭へと尾根通し。西へ・北へと尾根を繋ぐ一帯の城砦群が点在し、山域全山を要塞化した一大城郭を形成しています。此の千丈寺山(千丈寺砦)の西山麓に臨済宗妙心寺末千流山千丈寺があり観音堂の座像?(丹波志には立像:行基作と伝える)旧氷上郡29番札所。古河公民館から千丈寺へ向かう際見つけたキッチンたわやさんは先日UP済み。
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千丈寺に「黒井古城主赤井氏の塚五輪あり赤井家一族の墓所であり寺は赤井家祈願所でもあったよう!?。興禅寺裏山墓地に[黒井城主・荻野直正夫妻の供養塔]と伝えられていた二基の宝篋印塔が残るが、もとは千丈寺(大野地区?、大野公民館の南東)の赤井家墓所より夫々・江戸時代・明治時代に現在地に移されたもの。天正期(安土桃山時代)の直正夫妻供養碑の造立年代は、更に遡る室町時代中期・嘉吉3年と文安5年の銘からも…伝説は訂正されることになるが…
興禅寺裏に移された宝篋印塔:春日町指定文化財
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大野地区より大野坂を白毫寺・戸坂【白毫寺・東白毫寺・梶ヶ谷・平材・坂折…等黒井城北面を守る城砦群がある】へ越えるルートは千丈寺砦や黒井城西郭に至る大手道だったか?。千丈寺の赤井家墓所には興禅寺へ移され春日町指定文化財の二基とは別に:石造宝筐印塔三基・五輪塔・石仏等赤井家一族の供養塔が祀られています。県指定(昭和49年3月22日)文化財の宝篋印塔は総高1.24m・相輪(九輪)を載せるが途中で割れているのが惜しまれますが、九輪の上部分から請花・宝珠が遺されており、台石は上端反り花と対応させて複弁の請花にしているのは県下でも数例が確認されているのみで貴重。造立年代は銘なく明らかではないが、細部の手法から室町時代初期を下らないころと推定されています。
   千丈寺の春日町指定と県指定宝篋印塔
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県指定宝篋印塔の側に相輪は失われ隅飾りも欠損したものと、西側にも五輪塔を挟んで高さ約65㎝の宝篋印塔が立つ。相輪が途中(6-7輪目)で欠損しているが台石の格狭間・反花座・軸石の月輪・種子の彫りは明瞭。県指定と比較して台石・軸石・笠石等の比率が少し異なるよう。笠石軒下の請花がないが細部の手法から見て、造立年代は少し下るものと推定されており、春日町指定文化財になっています。
【現地 案内説明板 県教育委員会 平成3年11月を参照】
参考:幼名:赤井才丸は同族の荻野家養子として朝日城主に迎えられ、黒井城の荻野秋清(才丸の叔父)を斃して城主となり奥丹波三郡(氷上・何鹿・天田)をも領した黒井城主:荻野直正は、明智「丹波攻め」最後の牙城:黒井城が落城する前年・天正6年に病死しているが姓を赤井姓には戻していないようだ?。しかし絵本太平記の挿絵や司馬遼太郎の小説[貂の皮]による赤井直正としてよく知られる様?。同族ではあっても荻野直正が赤井家墓所に祀られたかは不詳。直正夫人の墓は小富士山の麓にあったのではなかったか?…

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