矢筈山城 西脇市

ここ数年・登山レポートをブログ掲載していなかったの忘れていたが…西脇市の先日の矢筈山へは”矢筈の森公園”が整備された年の暮にも登山したブログがあった。西脇小学校前から童子山公園前を通るR427号は杉原川沿いに北へ向かうが、西へ直進する市道が三和橋を渡り「さとう系スーパー」前で県道346号高田井北交差点に出る。
  高田井町登山口から矢筈山城を望む
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矢筈山登山口やログハウスのカフェ木夢(コム)さん【添付のマップには店名が表示されているが位置が違う。此の店は10数年前?オープンしているのだが…】へは県道を渡り直進、直ぐ左方への車道を進むのがいつものコース。標高こそ低いが播磨平野の加古川流域から、杉原川・野間川の合流付近へと展望は良好。当然!!?当地を管轄する国人領主らが領内監視の砦や山城を構えたとは想定内。
   愛宕・秋葉社が祀られる中央郭
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周囲の低山を睥睨して堂々の山容を見せる三ッつの峰を城域に持つ矢筈山城は、南北朝期から中世戦国期へと、改修を重ねながら使用されてきた土塁・堀切・竪堀・帯曲輪等遺構が残っており、同時期に全郭が稼働していた城なら北播磨では相当な大規模城郭なのだが?。城域三峰のうち矢筈の山名が示す矢筈山登山の山頂となっている櫓台状に建ち愛宕神社・秋葉神社を祀る主郭の中央峰から北の三角点峰を副郭とする城域が戦国期の遺構か。
  三角点峰の北郭:南面帯曲輪から
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矢筈山山上の中央峰が主郭。南切岸下の曲輪:行者大菩薩祠先で繋がる北郭(矢筈山3角点峰)側へ、更に北尾根を辿ると・古坂や尾根筋末端の市原【大木城があり、中区に入ると在田氏持城になった?霞ヶ城等がある】や西仙寺山砦に延びる。三角点峰には南側に2段曲輪と其処からは2条ばかり、短いが竪堀跡らしいものも…、北側にも一段帯曲輪を廻し、尾根続きの曲輪端切岸(木階段に整備されている)下に尾根を断つ堀切。
   北郭:曲輪北端の切岸と堀切
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城域北限かとも思え:この先の尾根筋に明確な遺構は見当たらないが平坦地形(曲輪)を長く延ばす。矢筈山西峰(主郭の本丸)の祠から西峰に向かう直ぐ側に土塁二ヶ所を見るが、50m程の緩斜な尾根鞍部状にも土塁・埋れかけの堀切状を見る。此の低い鞍部の先・比高15m程の山上部に掛けてが西郭部。此処からの西尾根筋は自然の切岸(激急斜面)となる。
  主郭背後・西尾根側直ぐに現れる土塁
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野間川沿い、野間城に移る以前の在田氏本拠の加西市河内方面からの街道に眺望が効けば監視砦としての適所だが、荘園:領内監視か?古風な単郭は南北朝期に構築されたものか・中世期にも見張の出曲輪として、また西方や北方にある諸城への狼煙台ともなったのでしょうか?。築城時期や城主等の城史は不明だが高田井・谷 ・出会等の領地を支配した人物(遠藤氏?)居城説がある様です!!。
   西郭側緩斜面上の土塁・堀切状…
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平安末期:此の地に勢威のあった別所姓を名乗った(赤松)頼清以降か?、嘉吉の乱後:赤松家旧臣の河内城の在田(赤松)氏が、赤松新興勢力の別所氏により河内城を退去、矢筈山城の北方、多可の貝の城段の城天文年間の頃:野間城を本拠として移った在田氏関連の城か?。段の城麓には別所氏居館の段垣内構居があり、多可群の在田氏の後・別所氏の持ち城として機能したのかも?。

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