姫路城 (Paper Craft) 

JR姫路駅から北に向って真直ぐ延びる大手前通りを約1km。市の中心部に位置する低丘陵、標高も城(46m<正確には45.6mか?>)の姫山(鷺山)に聳える5層6階建て大天守は華麗:荘厳な衣装をまとった姿を空に浮かべ威容を誇る日本一の名城姫路城(白鷺城)。
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木造建造物にとって重要な防火性の補強材”白漆喰”に軒も柱も塗り固められ・白壁が浮き上がり、眩いばかりに輝く美しさは別名:白鷺(はくろ)城と呼ばれる 日本最大の白亜の要塞です。其の複雑な要塞としての城郭建築の防備・攻撃の構造が・意識しないまでも外観形態と合いまって美的完成度を高めています。
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防御には門や櫓窓に設けられる狭間や石落とし・土塀にも○△□の鉄砲狭間・矢狭間等建築物や、石垣・濠・土塁等の土木築造物が良好に保存され、建築美と其の縄張りの壮大なスケールを惜しげもなく見せつける。姫路城は南北朝期の正平元年(1346)足利尊氏に従う赤松則村の次男貞範が築城、貞範が庄山城に移った後は家臣:小寺氏4代が守ったが嘉吉の乱に赤松氏が滅び播磨守護となった山名氏の持城となる。
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応仁の乱(1467)に山名勢を追出し播磨の旧領を回復し、置塩城に入った赤松政則により再び小寺氏を姫路城に置き・2代目小寺則職が天文14年(1545)重臣の黒田重隆に城を与えたとされます。織田信長に付き「播磨平定-毛利氏攻め」へと、西国攻め総大将:羽柴秀吉に従う軍師黒田孝高(NHK大河ドラマ化された:軍師の名称は当時無かった!!が)は天正8年(1580)姫路城を秀吉に献上、西国攻めの拠点として天正9年(1581)姫路城を改修し三層天守を築いたとされます。
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慶長5年(1600)関が原合戦後に入城した池田輝政により9年を費やし大改修され慶長14年(1609)三重の濠・五層大天守(内部6階・地下1階)と、3棟の小天守を結ぶ連立式の城が完成、其の後本田忠政等歴代城主による改修・整備され、忠政の子の忠刻に家康の孫娘:千姫が輿入れしたことで、西の丸が改修され化粧櫓・渡り櫓等が築かれ、現状に見る縄張り遺構を残す近世の城が完成した。
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加藤清正・藤堂高虎の普請による日本3名城の挙げられる熊本城大坂城名古屋城ですが、江戸時代に消失していた大坂城を外し・姫路城に替えての三名城説もあるが、姫路城だけは築城後も戦いの場となることがなく「不戦・不落の城」。昭和6年(1931)天守閣が国宝指定(旧国宝:重文指定相当…)を受けたが、豪雨で櫓が石垣ともに崩壊したのを契機として昭和9年(1934)より昭和の大修理【全面解体による大規模なもの】が始められ、1993年法隆寺ともに日本で初の”ユネスコ世界文化遺産”に登録されました。
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世界遺産として文化財保護の関心や理解を深め、保存修理に対する啓発や其の価値をPRするためもあり、工事完了45年を経て平成21年-(平成21年)には大天守の工事現場を公開する形で行なわれた。国文化財以上に地元民にとっての象徴・誇りとして愛される付加価値感をもつ熊本城についても復興・忠実な復元には長期に渡る地道な活動・作業を完成まで継続されていくことを望みます。完成を急ぐ必要はないが待ち遠しい…ですね
姫路城 (Paper Craft)はA4サイズ13枚 パーツ数123個から成る

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