三草山 加東市

最近の登山ガイドブック等にも低山ゆえなのか?播州周辺の山でも代表的な山だが、紹介されることが少ない?加東市の三草山だが、播磨小富士とも呼ばれる”ふるさと富士”は比高僅か!!?424m。綺麗な山容を魅せる三草山へは低山ながら展望が拡がり楽しめる岩尾根が続き鎖を伝っての長い急登ルートも待っている。
小野市に小野アルプス(惣山~紅山)加西アルプス(善防~笠松)加美アルプス(槍ヶ峰~雄岳三山)があるように、三草山塊の北方:数曽寺谷の西側・大坂山から南の岩稜の峰々は最も小アルプスらしい風貌を魅せ・加東アルプスと呼びたい…未だまだ一般的ではない?が、三草山登山中の景観のなかでは山口登山口の昭和池の比ではない。 
 R372の北:数曽寺谷西面の山塊・大坂山南尾根筋は加東アルプス!! 
 右端中は山口登山口駐車場
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阪神間では北摂の三草山がよく知られ、土豪:塩川氏の三草山城があったところ。播州の三草山にも三草山城がある。大方の登山口として利用される山口登山口に向かうR372号が三草山塊の北山麓を篠山市側へ向かう。道筋に三草合戦の合戦絵巻と紅白の幟旗を描いたモニュメントの壁が続く。登山口は此の山口・鹿野・古刹朝光寺・ツクバネの滝にも寄って畑から三草山への最短ルート等・よく整備された三登山口がある。山麓一帯が源平騒乱の古戦場としての三草山合戦?(山城攻ではなく野戦なので三草合戦か?)は平家物語等でも著名。
   駐車場から直接193mに続く岩盤:昭和池から
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R372(デカンショ街道・京街道)が篠山~京都へ、また摂津・三田方面からも古市から今田へ不来阪を越え、今田の小野原を経て加東市鴨川から三草山北山麓を滝野社へ…播磨に通じる要衝の地。寿永3年(1184)2月源義経軍が平家追討の為・須磨の一の谷に向かう際に辿った義経道には各所々に多くの伝承を遺しており、篠山から※不来坂・小野原(今田町)・三草山・三木市…等から山田道(東下城…)から帝釈ー丹生山系箱木千年家…等に残り、部分的には歩いているが、全行程の忠実なトレースを…意気込んでみた頃が懐かしい。義経進軍ルートには不明点もあって無理っぽいが。
三草コース最初に193m峰から望む加東アルプス!?!...三角点名:上三草側の山容
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不来坂は平家の軍勢が侵攻してくると布陣して待ち構える来なかったことで不来(こぬ)坂の名がある(多紀郡誌)。軍を進めて今田の小野原に布陣・平氏方は丹波・播磨を繋ぐ要衝警備のため三草山に3千騎で(山口や鹿野登山口周辺か?)布陣して対峙していた。一の谷合戦の前哨戦となった三草合戦に義経方は一万騎の大軍で、戦いは明日だと油断していた平家方に一気に夜襲をかけ、不意を付かれた平家方は其の総指揮下にあった神戸:生田の森や須磨:一の谷へと敗走。
   同193m峰から最低鞍部-三草山へ直登の三草コース
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三草合戦の夜襲に勝利し、続く「鵯越の逆落とし」には少数精鋭で臨む奇襲にと、一躍時の人!!?(今も語り継がれる伝説の)として知られる源義経ですが、京都府側から篠山に入る天王峠から殊に北神戸から鵯越(地名はあるが場所不明)への尾根伝いルート等は土地勘のない関東武者には無理:山師や山賊でもあったと云う?鷲尾氏・伊勢氏等義経一行に随行し案内したことで、ともに奇襲成功で勝利している。
北神戸:山田が産?ともされる鷲尾三郎伊勢三郎の供養塔が丹波篠山市内にあって在地の人に今も手厚く祀られ清掃・献花続けられているが…詳細は知らない。
     三草山山頂
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夫々の登山口からの登山道は整備され案内表示も設置されているので今回は山城探索が主目的だったが山頂手前で天候悪化…そのえ山上主郭周辺は土塁等遺跡保存管理のため立入り禁止になっている。山口の駐車場からの一般ルートは193m峰の北面石切場跡を迂回し三草直登ルートに向かうが、一面岩盤が覆う193m峰への急斜面を越え・下った所で三草コースに合流する。三草古道コースとの分岐点でもあり、帰路は山頂南側からを下り昭和池側に沿うように三草コース分岐に合流した。三草山上からの三草古道コース分岐附近南へと広い曲輪段が7-8段?続く(切岸高いものは5m程)。此処にも昔は曲輪群南端附近の曲輪切岸部にも遺構保存を喚起する立札があった…

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