東野城 綾部市

府道8号または府道74号線経由で栗町交差点を北へ左折し府道9号(綾部大江宮津線)に入る。直進する府道74号は栗城(一尾城)・位田城の南麓を走る。殊に室町時代後期:延徳元年(1489)位田氏や荻野氏ら国人衆が、6000の軍勢に対し・僅か200人足らずで位田城を舞台に籠城した[位田の乱]で知られる。 
   
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乱は時の管領:細川政元の家臣:丹波守護代上原元秀と父子によって、地頭職や代官職を奪われそうになった丹波の国人衆【須知氏・荻野氏・大槻氏等が守護細川氏:守護代上原氏に対して激しく抵抗して位田城に拠って戦ったが、明応2年に落城し(正確には反乱鎮圧の為丹波・但馬 ・丹後・摂津等十三ヶ国の大軍が攻め立て鎮圧されたようだが、、翌年には再発)4年間に渉る大規模な丹波国一揆です。
    土塁虎口受曲輪
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元秀は細川政元傘下での驕慢な振る舞いが多く、明応2年(1493)?には喧嘩の傷が元で死んだという。また父:賢家も丹後守護代になったといわれるが明応4年(1495)政元の馬廻りと賢家の被官人の喧嘩により両人とも死んだが、政元の成敗を怖れ近江に逃れ同年大晦日に死亡したとも…
    主郭:虎口部低土塁と帯曲輪
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由良川に流れ出る犀川沿いの府道9号は館町(館<たち>城や館砦がある)から今田町・新庄町を過ぎて物部町に入って犀川を9号線が渡る附近の低丘陵上に高屋城があり、此処が上原氏本拠の物部城が在ったところですが、南手前約1km程地点・物部の城を前方の丘に望みながら、東への直進ルートへ右折し進む北東先端の丘陵内に東野城<綾部市物部町東野>がある。
    副郭櫓台側からの大堀切
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東野城についての城史一切は不詳ですが承久の乱(1221)以後・関東後家人・上原氏が何鹿(いかるが)郡に入部し、在地豪族として一帯に勢力を張り一時は八木城:内藤氏の代わり丹波守護代ともなった上原氏一族の支城群の一であったとは推測できます。取付き点と思える民家の庭先から駐車場横…へは進み辛い。城域内も私有地の筈…。溝谷沿い奥の川筋が池となる手前農地の端から侵入しても、随分城址からは離れている様子。
   大堀切末端は林道側まで落ち込む
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城域の丘陵南裾を南面切岸下の溝谷に落して濠として、西方の府道9号沿いの街道監視は自ずと主郭位置が推定できる。極低丘陵を北東方へ延ばしてはいるが、低い尾根筋は緩斜な谷筋や林道が複雑に交差して、更には古墳群の点在で城域の北限が分かり難い。集落奥の寺参道からの林道も城址を離れていくだけ?だが、武家屋敷跡を思わせる土塁?削平段を見掛ける…が盗掘後放置の古墳跡なのかも…。

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