お杉地蔵 丹波

丹波高地最北端の地・佐治川(現:加古川)源流にあって但馬国境の粟鹿峰(粟鹿山)南面山麓の青垣町稲土には稲土城が、小稗には小稗城があるが、粟鹿峠を越えて但馬山東町への古道が通じていた大稗だけに、城砦遺構は未調査!!?ながら但馬・丹波国境の間道に関所砦があったとしても…!!?…
 [お杉地蔵](いつの頃からか立派な祠に納められ祀られている)
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源頼朝から佐治郷を拝領し足立遠政が佐治岩本城から本拠を山垣城に移し現:青垣町(東芦田・西芦田を除く)一帯を支配した全国足立姓の祖・遠政と足立氏一族の城や支城群に、稲土城小稗城がある。丹波市もみじ三山の一:高源寺開基の遠渓禅師も遠政の孫:足立光基の三男。またも横道に反れてきたので話を戻す。
  大稗公民館附近からの粟鹿山・朝来市からはもっと雄大な山に見えるが
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お杉地蔵へはR427号高源寺下の分岐を右折する県道276号の終端、途中:右手に大稗への分岐もあるが直進/先のブログ「後藤又兵衛の子が再興した再興寺」がある。集落内入口!?の分岐点に再興寺三尊像についての案内板が立つ。直進が再興寺へ、左手の直ぐ先で小稗公民館に着き、此処からなら標識がお杉地蔵まで案内してくれますが、丹波市最高地点の粟鹿山登山ルートの鞍部粟鹿峠までとはいえ散策路とはいかない
 祠も無かった以前のお杉地蔵(位置は殆ど替っていない様子)
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”お杉さん”は朝来市和田山町藤坂峠(竹田城跡遠望のポイントの一つ)の北西方の奥にある藤和地区)に奉公に 出ていたが【此処に大将軍杉がある】勤勉さに免じて月に一度は稲土(浄丸ノ滝のある道)へ抜ける峠??を越えて親元に帰る事が許されていたようですが、或る日・奉公先で父親の急の報せを聞き、急ぐあまりに何時もは通らない大稗へ抜ける粟鹿峠を通って帰る途中、    
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降り頻る雪の中で倒れ…後世・お杉の霊を弔う為に村人が石仏を彫って祀った…と。 「お杉地蔵」の伝承には大稗の恋人との会瀬に夢中で但馬へ引返すには時間も遅くなり、雪さえ降り積もる…上記同様理由で夜道の山越え・雪中に斃れてしまう。粟鹿峠の残雪が解け・暖かい春の日差しが降り注ぐ頃、其処には一本の杉が生えていた。「此れはお杉の霊に違いない…」とお杉の霊を弔うため”お杉地蔵”を建て冥福を祈ったという。【文政元年寅年七月吉日:施主大稗村の碑が立つ】
  公民館掲示板に地元地区自治会作成のポスターが貼ってある
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国立国会図書館サーチでは”(丹波市・篠山市の)丹波にむかしばなし<丹波の森協会出版>”には鼻の助太郎の他”お杉地蔵”も、丹波八宿 青垣の秋のリアル紙芝居<青年の村芝居!>で演じられていたように…親孝行な女の子として、第3集に載せてあると思うが、大人の悲恋物とした別バージョンもありますよ…
更に朝来市側にはお杉さんが与布土から藤和の奉公先に戻る際に通ったかもしれない?…竹田城下には”お杉地蔵”伝承を伝え、カップルのパワースポットにさえ認定されているカフェのメニューがある。
城下の民衆の塗炭の苦しみ・犠牲を強いての石積みの城・戦いの城竹田城も人気とともに主郭櫓台を、観光スポットならわかるが、恋人の整地に…認定?する等は一過性の現象なら目を瞑るしかないのかな 
 空白地図では位置も推定すだけ?、大体この辺か?

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