黒井城の霧海Ⅱ 丹波市

天空の城竹田城としてHPにアップした頃は、当市観光関連やWeb上でもマチュピチュが代名詞・「天と地」等で映画ロケ後でさえもまだ「天空の城」としては紹介されていなかった様に思う!!?。
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雲海展望の人の姿も稀だった山城が近年・俄にツアー客等でごった返す超有名な観光地となってしまった。しかし此処は領主の城というより戦いのためだけの城。守護代太田垣氏の城は生野銀山の利権を欲して但馬守護山名氏に取り上げられたり、秀吉も当然ながら但馬を攻略して手に入れたかったのが生野銀山。
   黒井城(別名:保月城・保築城)
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但馬攻略後・赤松氏が入り総石垣の城としての改修に領民らは塗炭の苦役を強いられる。黒井城主荻野直政は織田信長により奥丹波三郡(氷上・天田・何鹿)領は安堵されていたが、山名氏が侵攻し山垣城を攻めたが、荻野直政等の援軍に押し返され、反対に但馬竹田城を落とされた。
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山名氏は織田信長に救援を要請・丹波攻略の期を得た!!信長は天正3年(1575)明智光秀を総大将に丹波黒井城攻めを開始する。盟友というか?縁戚関係を結んだ三木城八上城・黒井城は、信長の天下布武号令のもと、播磨・丹波攻めに悲運に翻弄される。
  石踏の段(大手道)の赤門と城主:直政顕彰碑 霧が晴れれば赤門を通して城下が見えるが
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名実ともに「天空の城」として円山川の川霧の中に浮かぶ幻想的な竹田城の姿には誰もが魅了されることでしょう。但馬竹田駅(播但線)ではなく丹波市にも丹波竹田駅(福知山線)があり、大坂方面からは二駅手前の黒井駅から見える山城の石垣に但馬竹田城と間違える旅行者もあったと聞く。
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黒井城もまた天空の城の風情を醸し出す「丹波霧海」の展望名所・城下は霧海の底。「水分れ」(日本一低い分水界)から日本海側へ流れ出る黒井川沿いの黒井盆地内を晩秋時期からは真っ白な霧海が覆い隠す日がある。荒々しく蠢き流れる雲海ではなく、”丹波霧”は静かに・動きを止め、やがて陽が射し始めると徐々に霧が流れ始め、消えかかる薄い霧の切れ間からは…眼下の町並みや田園風景の色彩が少しずつ・少しずつ其の彩りを強めてくる。
 東曲輪の虎口曲輪石垣と三ノ丸東面(櫓台)石垣
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   過去の黒井城訪城と霧海記は下記を併せて参照して下さい
             ↓
黒井城の丹波霧  http://40437108.at.webry.info/200711/article_11.html
黒井城の霧海   http://40437108.at.webry.info/201410/article_17.html
黒井城Ⅰ 主郭   http://40437108.at.webry.info/201411/article_7.html
黒井城Ⅱ 前衛曲輪群 http://40437108.at.webry.info/201411/article_8.html
黒井城Ⅲ 西ノ丸  http://40437108.at.webry.info/201411/article_11.html
黒井城Ⅳ 東出丸  http://40437108.at.webry.info/201411/article_13.html

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